戦後70年節目に見る、日本・名古屋復興と発展。その②
戦後70年の節目に考えるとして、シリーズ最終回です。戦争による国同士の関係は、様々な角度から見ることができます。丁度天皇陛下がフィリピンをご訪問されたところであり、戦火の中で被害に遭った人々を弔問され話題になりました。
覚王山とゾウ
名古屋市にも、二つの戦争資料館がありますが、その他の地域でも同様の施設があったり、地域の資料館などで期間限定の特設展示があったり、戦争を忘れないようにする配慮がされています。
私達戦後70年後の日本人からみて海外との戦争を振り返ってみますと、一般的に太平洋戦争の話があがりますが、祖霊以前以降にも日本の周りでは、アジア大陸や朝鮮半島などとの戦は何度もあり、また戦後も間接的には、朝鮮・ベトナム戦争とも戦争特需としてかかわってきました。
世界のどこかで戦争が起これば、直接当事者意外にもさまざまな影響を受けるものである以上、色んな関わり方がある事を知っておく必要があるでしょう。
戦争は様々な顔を持っています。人を殺す・街を壊すなどのネガティブな部分に光が当てられる場合が多い一方で、戦争によって特需が生まれて経済的に潤うポジティブな顔ももっていたり、当事者以外の国同士が政治的・経済的に有利になったり不利になったりするなど、単に害のあるものと決めつけられない側面もあります。
太平洋戦争で敗戦したからこそ、名古屋市は怒涛の復興劇を見せ、どん底からの反発でここまで立派な街になったのは、前回の記事でも申し上げた通りです。
良きにつれ悪きにつれ、この70年で戦後の日本を放置せず戦勝国アメリカが、日本の開発に関わったことで、世界の経済大国の仲間入りしたのも、戦争の恩恵だったかもしれないのです。
一説には、戦争が無かったら今以上に発展していたと仰る向きもありますが、ここでは過ぎた事へのタラレバは語らない事にしておきます。
現実は日本が敗戦した事実だけが歴史に残っているという事です、私たちはこの戦争経験国の一つとして、反戦の意志を示すのは当然かもしれませんが、なぜ敗戦した後で腐らずにここまで発展してきたのかを考えて、そのモチベーションの基になったものと、真摯に向上心を持ち続けた思いを、しっかり受け継がなければならないと言うことでしょう。
当にこの70年で学んだ一番大きな事は、どん底に落ちて食うにも事欠きながらも、ただただ、明日の進歩を夢見て地道に努力する姿が、目に浮かんでくるのです。
私の両親もそうでしたし、きっと皆さんのご両親やご家族でもそういった姿を目にしていた時期がきっとある筈です。
現代の平和で安定した時代に、その宝とすべき姿を見ることは殆どありませんし、いまさらそのまま真似して苦労しろとも言いませんが、豊かな時代だからそんな機会がないわけではありません。
特集 日本の戦後70年
「戦後」はいつ終わるのか?—戦後70年を生きる若者たち
どの時代にも、私たちの祖先が立ち向かってきた課題が形を変えて存在しています。
名古屋で言えば、事故などの交通事情かもしれませんし、津波や災害対策の不備かもしれませんが、今までの70年で乗り越えてきたハードルは、これからの70年でも乗り越えられると筆者は信じています。
この先70年後はさすがに生きてはいないですが、もしかしたら医学が発達して生きていたら、未来の問題を克服した子孫たちの姿を見てみたいものです。
そんなモチベーションと夢を、70年前の人たちは持ち続けたからこそ、今の日本が存在することは間違いありませんね。