くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

新国立新築計画に見る、日本の搾取制度の本質

 

 「ビル新築は旧国立の建て直しとワンセットで決まった“五輪便乗”計画です……6月に入札を終え、すでにゼネコンの『安藤ハザマ』と建設契約を結んでいます」
 この事実が、今回の新国立競技場見積もりの違和感の現況だったようですね。

 

 

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 戦後日本において、表に出ない水面下で戦時中苦渋をなめた戦中・戦後派は、経済の下剋上をおこして、マネーの一極集中するビジネスモデルを政治と供託して気づき上げてきた一面があります。

 その成長株が「天下り」システムであり戦中で起きた不利益を半自動的に主導派に回収去れるようにつくられていて、その一角が「スポーツ振興」という名の天下りシステムであったことは、残念ながら疑う余地がないようです。

 

 戦後日本政府・大手企業が作り上げた独自のタテ社会は、昔からある日本独自の忠臣的発想を巧みに利用して、新たなピラミッド構造を作り上げてきたようですが、もう少しその労力を、日本市民に還元できていればここまでいびつな社会構造にはならなかったのでしょうが、残念であり憤りを禁じ得ません。

 

 今後新しい世代が、こういったシステムの搾取に惑わされないように、国内外の様々な情報をバランスよく取り入れて、政府が流す情報の公平性を正しく冷静に判断できる力をつけて欲しいと思います。

 

 もちろん日本だけが独自であると思ってはいませんが、最近の日本の常識は国際的なそれと比較して、ひいき目に見てもかい離が大きいのが気になるわけです。

 日本はかつてあった自信と誇りを、少し失っているように思います、それは国内でささやかれている自国の成果と、海外で聞かれる評価とは違いがある事に私たちが気付き始めているからに他なりません。

 

 その感覚はおそらく正しく、この日本国内の評価はバイアスがかかっている可能性が高いためで、これからを生きていく私たちは、二つの選択に迫られていると言っていいでしょう。

 

 より新鮮な客観的(ある意味日本人には辛口)な評価を軸にするのか、やや主観的な傾向の強くなっている甘口の評価を選ぶのかで、海外に対する日本の評価は歴然とした差が出ることは、言うまでもありません。

 

 戦争責任問題に端を発している国の国際的評価は、政治・経済面でも冷静な海外の目にしっかりと見まもられていることを意識して、私たちは政府・官庁関連組織の評価・裁断を見つめなおさなければなりません。

  その点で、改めて私たちの唯一の政府評価の権利、選挙権を有効に使い、大いに要求することの重要性を見直したいです。

 

 

 

日刊ゲンダイ|新国立の“戦犯”がこっそり温存 JSCに165億円ビル新築計

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162064

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