社会弱者の受難を浮き彫りにする新幹線「焼身自殺」事件
新幹線運行履歴で初の事故による停車の原因が、悲しいことに福祉制度への命と引き換えの直訴だったのは、偶然だったのでしょうか。
奇しくも2015年開催オリンピックの準備期間に起こった「直訴事件」が犯行者の意図とは異なった点で問題提起されるとは、何とも言えないままならぬモノを感じます。
一つは過去から問題とされた、日本の福祉問題と、もう一つはこれから大きくなるであろう移動手段の安全面。
後者は、犯行者が意図したものでは無かったでしょうが、余りに目立とうとしたために問題視されました。
どちらも重要な解決すべき問題ですが、双方ともそれなりにコストも手間暇も係るだけに、現実的に両立平行解決は至難の業でしょう。
そこで敢えて優先度を考えたいと思います。
大まかに見て、福祉保障については高齢者、移動の安全については低中年齢の人に関心が高そうに見えます。
先にも言ったとおり、どちらも重要ですが、政府はどちらを優先するかで、リトマス試験紙の役割を果たしそうです。
前者は戦後日本が引きずってきた高度成長期世代の権力との決別をし、次世代への主導権移行に関わる国内に留まる案件です。
後者は次世代を見込んだ国際化社会への緊急対応であり、外国への意思表示の意味合いが強くなります
政府が旧世代から脱皮出来なければ、前者を厚遇せざるを得ないでしょう、一方、新世代に重きを置くなら国際化への安全を充実させるでしょう。
時期的にどちらを優先するかは長期的に見ても、半々ですが、何れにしても我々は、政府が保身のために悪用しないように、注意深く監視する必要があります。
新幹線「焼身自殺」事件から考える、日本の福祉政策の悲しい帰結 増え続ける「下流老人」と「子どもの貧困」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44052