「原発より交通事故のほうが危険」vs村上春樹、「それは違う」
原発と、交通事故の死亡者の数で比較することで、論議に参加する人たちの立ち位置が透けて見えるという、不思議な試験紙みたいになっています。
この風景を見ても数字だけでモノを言う神経が理解できないのですが
この記事の議論は、作家村上春樹さんに、読者の一人が彼に投げかけた問いから始まっていますが、それに限らずそれ以前から何かにつけて、都合よく解釈されてきた答えのない論議の一つです。
例えれば、身近なところでは「人はどうしてペットを見殺しにしてもいいのか」
とか「どうして人は同じ生物同士で殺し合うのか」などもあるかもしれません。
結局、それぞれの都合の範疇で意見を言って、人の都合でモノを語っているのですから、誰もが納得する結論が出ないことになっていて、残念ながら今後も出ることは無いでしょう。
それでもしなければならない事があるから、今もこうして色んな形で討議されていて、とても大事な事だと思います。
この「日本に原発は必要か?」というテーマの結論については、極論はありえないでしょうが、現在は必要でも次世代の子孫にとって必要かどうか?と聞けば、多くの方が「無い」と考え易いのではないでしょうか。
現在しばらくは、経済の構造・エネルギー事情の問題は引きづるので、無くしたらとんでもないことになりますが、原発の危険性は十分理解できたのですから「増やす」か「減らす」なら後者になるのは反対も少ないでしょう。
問題は、減らすタイミングに合わせて代替手段が現実のものになるかどうか、だと思うのですが、これには昔から散々騒いでいても積極性が全くありません。
なぜなのかは様々ご意見あると思いますが、できる時間があったのに準備してこなかったのは、日本人全体の油断と言われても返す言葉はありません。
どちらが安全か、得かという比較の問題を既に超えている事を自覚していかなければいけません、今生きる人には現在の快適さは大事ですが、将来の住み心地を未来の人は、残念ながら決めることはできないのです、可能なのは今生きている人が有限な可能性を今少しでも削って、未来に託すことだけです。
村上春樹さんが「それは違う!」巷で大論争に「原発より交通事故のほうが危険」を考える
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43161