くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

グローバル社会で日本が超えなけれならない事

日本語が母国語のの日本人が、日本語だけを話せれば問題なく暮らせるのは当然と言えば当然ですが、本気でそう考えている日本人は、年齢が下がるほど少なくなっていることは容易に想像できますし、若い世代程ネットコミュニケーションや、ゲームで国際交流が海外へ行かずともできます。

特に未だ一定数の引きこもりの習慣は、事件でもなく普通のことになっていて、勇ましいのは生涯引きこもっていても、思っているほど社会との隔絶は小さいことに、古い世代の筆者は唸ってしまいますが、外部から様子が伺えないのでリスクはあるものの、新しい自由も有りだと感じます。

 

語学が大切なのは、識字率の高い日本人なら当たり前に思うのでしょうが、海外国には第2言語を習得しないと生きていけないマイノリティ母国語の国民ならば、死活問題ですから借金をしてでも覚えようとしますが、日本だとそういった機会が無い分、油断があるかもしれませんね。

実際筆者も中学程度の英語しか使う機会はありませでしたし、それで旅行には十分役立ってますので、大きなことは言えないかも知れませんが、コロナで実現してしまった閉鎖社会は、引きこもり社会と似ているとも言えなくはありません。

 

戦後70年以上もの間に日本が世界にしたことは、がむしゃらに高度経済成長を国内で起こし、そこで上げた資金は海外の絵も言われぬ団体や、発展途上と言われた隣国への援助に「良かれ」と言う名目で流れ続けた結果、長期デフレ失われた30年を凌ぐことになります。

その間にもまだ大蔵省や財務省が予算放出していれば、まだ世界進出のやりようはいくらでもあったはずですが、それをしなかったのは単に財布の紐が硬かったことと、隣国の根拠のない縛りと引き換えに、日本経済を鈍化させた何かが、国内に存在したということでしょう。

 

また識字率が高いとはいえ、海外の先進国では母国語+第2・3言語を学ぶことに力を入れている一方で、日本は義務教育で非実用的な英語を文法中心にしか学ばせてきませんでした。

 これは、一つには日本の優秀な技術力が海外に流出したり、交際経済下で日本企業があまり成果を出し過ぎないようにする配慮があったとも、当時噂に聞いたことはありますが、信ぴょう性は定かではありません。

 

実際バブル期前後には日本企業が、海外の不動産や芸術品を買い漁るなどの時期もありましたので、話半分としても経済成長によって潤ったと見る者は多いようですが、この時期でも限定された境遇の人だけで、全てが潤ったとは言えませんでした。

こうして見ると、良い時も悪い時もあったように話題には出ますが、全体が潤う前に国民以上に多額の資金が、近隣国へ融資されそれが返ってくることは無かったわけですし、その結果中国などは先進国として成長した後も、しばらく途上国の扱いを要求していました。

 

そうして、今ではアメリカさえも警戒する様な経済・軍事大国になっていますが、その間日本が相応に成長したかと言えばNoですよね、日本は世界有数の債権国家であるはずなのに、実際に財務省財政支出をしないのは、本当に赤字だからでしょうか。

実際の材税状態は概ねグリーンとは言われますが、実情報は門外不出でありあくまで経済白書など公開情報を信用するしかないですが、有るのに赤字と政府に言わせる仕組みには、どういう意図があるのでしょうか。

 

 近隣国には援助金は出すのに国民には赤字を唄って負担を促そうとする、それを政府は一切正そうとできない力関係になってしまった経緯は理解できませんが現実ですので、この各省庁との関係の透明性を、今後明るみにさせないと政治不信は募るばかりです。

歴代政権に引き継がれてきた、暗黙のうちの優しい日本はある先進国には誠意を感謝されている一方で、近隣国には感謝どころか不満だけが出ているのは、何か日本の優しさが本当に正しかったのかおざなりにして良いのか、新しい世代は納得するでしょうか。

 

 アメリカに対しても安保条約による防衛費負担のために「思いやり予算」を払っていますが、これはまだ万が一の際の見返りがある分救われていますが、いちいち債務国と債権国の顔を使い分ける国から、いちいちチェックを入れられる筋合いはないはずです。

日本はこれからも八方美人の国で在り続けるのでしょうか、日本の美徳でいくら家庭が火の車でもご近所に礼は欠かないと言われましたが、果たしてこの礼儀が実を結ぶ日が来るかどうか、そろそろ政府は嫌われる勇気を態度態度に示すべきでしょう。