くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

男性政治家のエゴ、女性優遇政策が出る時はその背景に警戒を

不妊治療妊婦の保護対策が新政権の具体的方針のひとつとして挙げられていますが、これまでにも妊婦や主婦など、子育て出産によって働けない女性または家庭に対する様々な福利厚生策は、事あるごとに”政策の目玉”として掲げられてきました。

少子化の深刻さが話題になりやすくなった近年でこそ、妊娠・出産・子育てのしやすい社会づくりを具体的に対策し始めていますが、そもそも日本は未だ”女性”は子育て重視、”男性”は仕事重視という固定概念で、社会の多くの仕組みや常識が動きます。

 

子持ちの夫婦が離婚すれば、多くが母親が子を引き取ったり、夫婦間でも子育てのウエイトは圧倒的に女性にかかり、主たる収入は男性が子育てを犠牲にするのが、企業から見た”当たり前”の都合になっているのは、ほぼ先進国では日本だけです。

女性の社会進出は戦後ウーマンリブから運動化さえしましたし、職場環境下での男女平等の意識は、ほぼ個人レベルでの努力にによって辛うじて続けられていて、企業側はあわよくば男性の職場地位安定に執着し続けています。

 

これによって、男女とも仕事をつづけながら結婚・出産・子育てする選択肢や機会を多くのシーンで失ってきたことが、少子化を加速させ家庭環境を制限してきたことで、企業は集中して業績を伸ばすことができたわけです。

雇用されて会社に時間を束縛される代償に賃金を得られる、これは一見正しいように聞こえますが、本来は能力を賃金に変えているのであり、時間は結果さえ出せば束縛されるべきものでは無かったはずですが、どこでどう変わってしまったのでしょう。

 

日本企業は仕事において、実績よりも人間関係を重視してきた年月が長いため、仕事とプライベートを仕分けできないまま、場合によってはプライベートさえ人間関係円満のために、少なからず犠牲にしてきました。

その影響が、核家族化した家庭づくりが計画的にしづらくなった要因の一つになっていて、男性が仕事優先にさせられる分、家庭を守る役割を担った女性の負担は大きくなり、男性も家庭と会社の板挟みに苦しむことになります。

 

これらのジレンマを象徴する「仕事なんだかが仕方ないだろう!」のキメ台詞は、まったく根拠も説得力もありませんでした、会社とてそんな言葉を言わせているつもりなどさらさら無かったのですから、全ては板挟み男性の思い込みでしかなかったのです。

会社は要求こそしていなくとも、暗黙の抑圧を掛けたのは事実でしょうし、結局は企業体質を改善せず社員の時間をあらゆる方法で拘束し続け、成長できてしまったことで、さらに能力より拘束時間によって社員管理をし続けました。

 

そのしわ寄せで、家庭での女性の負担はますます重くなり、会社での男性の拘束は強くなっていった結果、経済成長重視で生産性を上げる政策をとり続けた政府の、企業側の優遇制度で、企業利益は上げられてもそのサイクルから離脱している女性は、恩恵を受ける機会を減らされる結果になりました。

そのサイクルから外れれば、男女どちらも恩恵が減るわけですから、女性も結婚離脱をするわけにいかず、再雇用を考えると結婚より仕事という発想になるに決まっているわけですし、家庭と言うより個人消費を増やせれば企業は利益を上げられるので、このサイクルは好都合だったのでしょう。

 

女性待遇の向上について筆者はこれまでにも何度も取り上げてきましたが、端的に女性向けの施策を期間限定で実施しても、このサイクルが常識である間は、安定した変化は見込めないと悟りました。

個人や一家庭レベルで協力したり工夫しても、家庭における作業や役割の平等な分担比は変わりませんし、政府の政策も性差や思い込みの向き不向きで、女性の役割を分けることなく家庭の仕事と企業の仕事は、柔軟に家庭側にゆだねる政策無くして、根本問題の解決に繋がらないでしょう。