くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

未来人は存在するか、前回の未来予測の続編

前回、筆者なりに前向きな近い将来について、日本において可能な限り具体的な例の範囲で書いてみましたが、あくまで過去の歴史認識を立て直したうえで、という前提を付けた上で、これからの在り方を書いたつもりです。

現実的な未来は、ある程度の目標にもなるもので、誰もが未来の計画に係る時に行うものだと思うのですが、そこから少し非現実的な話として未来人の存在を考えてみようと思いました。

 

みなさんは「ジョン・タイター」という人物の名前を聞いたことはありますか?これは陰謀論者たちには有名な、2000年頃に実在した人物だそうですが、姿を見た者は誰も居ませんし、メールとか書類で未来にあったことや、私たちの住む世界とは少し違った世界から来たそうです。

現実的な未来は、文字通り未だ来ていない時代ですから、起きていない世界から人が来ると言うのは、当にドラえもんのようなSFマンガの世界ですが、私たちにとってそんなまだ見ぬ世界が、今の時点で起きているのでしょうか。

 

ここでは小難しいことは書きません、最新の物理学を理解する人々の中には、理論上どこかに過去と今と未来は同時に存在すると、説明しているようですが、今を生きる私たちにとって、今必要以上に未来を知って混乱が生じるだけかもしれません。

とは言え、未来に関心を持つ人の多くは、未来の情報を知って何らかの得をしたいという願望が満たせるという動機がほとんどで、あとは自分がどうやっていつ死ぬのかなど個人や家族の行く末についてが多そうです。

 

ただ、それを知れたとして実際にどれだけ思惑通り徳ができるか、不幸になるかはまた新たな未来を創ることになるでしょうし、そうなれば聞いた未来は未来ではなく只のガセ情報と言われかねません。

たとえ未来は予定通り決まった手順で動いていくよう自動修正されるとして、知った人は事前に幸運か不幸かどちらかを知ったうえで、実行されるまで生きなければなりませんが、そんな縛られたような人生歩んでみたいですか?

 

赤ちゃんが生まれる前に、この子がどのような人間になるだろう、しっかり育ててられるよう努力しよう、私はこの子の親として相応しいだろうか?とか、悩んだり励んだりするのは、まだ見ぬ不安と希望が湧きあがるからこそ、人は成長するのです。

人は何かと生活に便利なモノや知恵をお金を払ってでも欲するようになりましたが、もし未来も買えるようになったら、努力も希望も持たなくなってしまいかねないでしょうし、あくまで夢や願望でとどめた方が筆者は良いような気がします。

 

実際に「ジョン・タイター」はかつて過去に現れたのかもしれませんが、その影響力はその周辺のごく一部だったことは事実でしたし、おそらく彼がもたらした技術的なメリットを享受できた者は、今のところ何の成果も示していないようです。

彼が現れた動機も、ドラえもんセワシ君が現れたのも、実際の動機は知る由もありませんが、それが希望をもたらすもの出なければ、私たちにとって生活ノイズでしかないのです。

 

彼らの来訪の目的が警告であろうと恩恵であろうと、結局はそれらすべてを私たちがこれから創っていくことに変わり有りませんから、私たちがしっかり未来のビジョンをもって精一杯生きていけるかどうかを、自分の行動に問うしかないのです。

結果が吉と出るか凶と出るか、常に5分5分であり行うことによって、微妙に比率が変わる程度のことで、大きな得も損も期待しすぎるのは、無理がある様に人間が変えられる未来はわずかですが、それが集合することで大きく動くことがあります。

 

未来人が存在するとしたら、良きことを知らせる未来人をどれだけ信じて生きていけるか、そのくらいしか私達にはできないでしょうし、金でそれを買えるなんて夢夢考えない方が良いでしょう、買えるはずがないのですから。

日本人は幸せです、ドラえもんという未来人(これはロボットか)を知っているのですから、善人である未来人に最初に出会え、それは当然のように世界に広まっていきましたが、それが未来人のメッセージだったのかもしれませんね。