くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

O村愛知県知事リコール運動、地元TVで見たこと無い。何で?

あいちトリエンナーレがらみの話を久しぶりに書きますが、地元愛知県大村知事のリコール署名運動が、県内で今年8月-9月にかけて実施され、来年1月集計結果を待つ段階にはいりました。

署名運動終了後、報告を兼ねた改憲が本日名古屋で開かれましたが、筆者はYoutubeの「THE PAGE」の動画でその様子を拝見し、その間に様々なことがあったことを知りましたし、地元TVニュースで見た覚えがないのに驚きました。

 

高須クリニック院長、高須克弥氏が主体で行われたリコール署名運動ですが、集計用のPCサーバーが故障したり、署名した人の個人情報がネットに流される、といったデマがSNSで拡散されたり、高須氏も危うく交通事故に遭いそうだったとか。

もう陰謀の世界顔負けの圧力や妨害・誹謗中傷が当然の様に県内で起きているとは、この報道を見るまで知りませんでしたし、この会見には地元大手の中日新聞東京新聞系列)や東海テレビ(フジテレビ系列)の報道は参列していないようでした。

 

会見冒頭には、河村名古屋市長がこれまでの経緯と、愛知県の独断を意見した名古屋市を訴える暴挙に出た大村知事の独断行動を厳しく批判しています、大村知事はコロナ対策の対応に追われる体で、まったくリコールについては無回答です。

注目したのは、デヴィ夫人が会見に参加しており、出番が回ってくるなり毅然として、参列報道陣の社名を各々確かめ、地元の報道が出ていないことに憤り、トリエンナーレ協賛の中日・東海両社が不参列を確認したのです。

 

作家の百田直樹氏も今回サポートで参加され、SNSによる署名者の個人情報漏洩はデマであることを強調し、こうした脅迫まがいの行動を平気で行う左翼集団の行動をけん制、巧妙な口コミによる印象操作の現状を報告しています。

高須氏は、愛知では大村支持の報道やイメージ広告は出るのに、高須氏が私費で出すともし出た広報はことごとく断られたと言っておられましたが、地元で起きているこの異常な状態が、日本で実際に起きていることはぜひ知ってほしいです。

 

あいちトリエンナーレが強制実行された当時、他地域から莫大なクレームや批判がSNSに飛び交いましたが、国・天皇を侮辱し、私費でなく公金を巧みに投じて日本ヘイト活動を、芸術活動と平気で正当化しようとする神経は、狂ってます。

地元愛知県が、民主的行政の旗の基でこのような歪んだ民主化のごく一部の主観が、通ってしまうのは、この地が歴史的に日本全土以上に日本を貶める活動を広める左翼団体・個人が、経済的に影響力を持つことを、世に知らしめていると言うことです。

 

愛知県の主産業は、機械や自動車製造など生産業が主体で持っており、大手企業も名を連ねますが、時流に乗って中国との関係を重視してきた経緯があり、教育も労組も娯楽(パチンコ)でも日本を貶めるまたは自虐史観が強かったり、左翼系が支持されやすい下地がありました。

そんな土地柄なので、芸術活動も新興芸術や思想的な芸術が評価されやすい傾向は、他地域より独自で大きかったのでしょうが、良くも悪くも堅実で保守的な土地柄も手伝って、一旦定着するとなかなか変えることに消極的になる傾向があります。

 

大村知事の相変わらずの、何もなかったような飄々とした普段の実務の姿を見ていると、こうしていられるのは、彼の存在価値よりも絶対的な利権や思想を日本に根付かせようとする者たちの、執念と執着を強く感じます。

大村知事においては、完全に彼らの思惑にからめとられ、どっぷり両足ツッコんでしまった時点で、哀れでしかありませんし、このまま自身の横暴を押し通すのであれば、愛知県の行政は、未来ともに期待できそうにありません。

 

更なる懸念は、この活動家たちの国内行動を愛知県から正当化させることに繋がり、ひいては某国の支配下に置かれる戦略の風穴として利用されかねないとまで懸念していますが、これは考えすぎでしょうか。

日本国内では、ようやく多くの賢い人達によって正しい歴史を理解し始め、自虐史観の悪影響から脱却する機運が令和から起き出している中で、愛知県がこんな事で胡坐をかいていていいのかと、こんなことで筆者が自虐的になっているのは切ないです。

 

日本は少子化やデフレ脱却など多くの課題を抱える中で、これから間違いなく成長できると筆者は信じている派ですが、愛知県の様に産業での密接な関係から、弱みを握られるような状態を、各地域が断罪し抜け出さなければなりません。

地元愛はそれなりにも持ち続けていきたいのですが、現実は現実として向き合って地元大企業の合言葉のように「カイゼン」していく柔軟性を、今ならまだ持ち直し好転できると、信じたいからこそ敢えて書いてみました。