くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

日本人は季節を五感で楽しめる人々。現実と闘うヒント

今年の日本は、年初からコロナウイルスの大騒ぎでおそらくこの後も今年いっぱいまで、自分の命を守るのに始終して終わってしまう人が多いのかもしれませんが、みなさんその中でも日本の四季を楽しめていますか?

梅の花・春の桜や、卒業式・入学式、初夏の山々の若い緑や、爽やかな海の色、災難でも夕立や台風・猛暑など、良くも悪くも印象に残っているのは、後者の印象しか残っていないかもしれません。

 

仕方ないと言えば仕方ない、それでも桜は咲いたし、露にはアジサイも綺麗だった、夏は暑かったけど、風にざわざわ靡く豊かな緑のゆれなど、ここまででもちょっと、目線を去年と同じに戻すと、癒された人は多かったのでは?

こうした災難が、後々の記憶に残ることもあっても、不思議とあの年は暑かったな、桜綺麗だった……とふと五感に残る記憶も、人それぞれに残るものではないでしょうか。

 

筆者は、昔ほど自然に関心を示さなくなってきたり、普段あまり花や自然をめでるようなタイプではないのですが、今年はふと気づくと今まで当たり前だった、日本の四季の風景や香りや音に足を止める機会が、多かったように思います。

なぜでしょうかね、それどころではない筈なのに、足をとめて四季を感じると今年は例年に比べ、何かと日本の四季はハッキリとしていたように思えたのは、ちょっとした癒しであり、心の救いにもなったように思います。

 

周りのみんなも、そろそろこの騒ぎに足並みを揃えられるようになったのか、より生活を楽しめるようになっているように見えますが、筆者の場合TVをあまり見なくなった分、家の外のことに関心事が増えたのかもしれません。

ちょっとだけ残念だとすれば、花見と花火の人の賑わいが無かったことですが、あとはなんだかんだ自己都合で季節を勝手に感じながら、暑さをしのいでるような状態で、結構日焼けも何年かぶりにしたような変化があります。

 

それでも街を歩けば、高齢者はより控えめに(一部カリカリ)慎重に動いているように見えますし、若い子たちは気を遣いながらも、動き回っているように見えて、これをしかめっ面で見る向きもありますが、この活気は救いでもあります。

こうしてみると、楽しんだりいやしたり出来るところって、けっこうたくさんあるなと思えますし、むしろ自分自身で無意識に自重しすぎてたなと、苦々しい思いをすることもありました。

 

日本は世界に類を見ない、四季と言う自然の変化が楽しみやすい自然環境が、今でもまだまだたくさんある国なんですね、その中で生まれ育った私たちは、その四季の変化に感化され感性豊かな文化を築けてきました。

たった一度の災難で、これらの日本人の特権を見失おうとしているのが今の現状かもしれませんが、これまででも地震や台風、津波や飢饉を乗り越えてきた、流行り病では過去に多くの人が無くなった。

 

亡くなった方には申し訳ない気持ちにもなるし、自分だけ生き残ってもいいのかと責める人も居るかもしれないですが、生きている限り私たちは四季という日本の価値を思い存分五感で楽しめるのです。

今年は「密」とか色んな制約で強制させられ、気の合う仲間や全く初見の人との出会いや感情の共有ができませんでしたが、それぞれの中ではその気持ちさえ持ち続けていられれば、四季は私達をいやしてくれることは今年も変わり有りません。

 

自分ではどうにもできない事は、叫ぼうが泣こうが、誰かを誹謗中傷しようと、何も好転することはありませんが、自分で何かしようとすることは、自分自身が生きている限り、何時でもどこでも好転させることは出来るわけです。

筆者にとっても今年は、一生忘れられない年になるでしょうが、それは思うように生活が好転しないという、負の記憶もあるその一方で、自分が大人になって以来忘れかけていた多くの記憶も、たくさん残せた気がするのです。

 

単にポジティブに生きようとしても、気持ちに押しつぶされて、気ばかり焦ってうまくいかない人は多いと思いますが、もし息抜きの仕方さえ忘れる程自分を追い詰めているのなら、ちょっと季節を思い出してください。

人の五感とは不思議なもので、感じたものに素直に従うと、スーッと何かが抜け落ちるようなことがあって、自分で意識して五感で見聞きするのでなく、五感で受けいれるようにすると、結構素直な自分に安心したりするものです。

 

受け入れる五感の使い方や感性は、強制的な外部入力で散らされやすいもので、今年のコロナ騒動は、過剰な程自治体やTVメディアで徹底的なお仕着せがましい報道で、混乱した人があまりに多かった。

こうした災難(以前にこれは有事と同じと書きましたが同じことです)によって、自分がどういう行動をとってしまうか、よく観察しながら去年の今は何してたろうか?とか、意外と季節は去年より変わってないなとか。

 

日々の生活に追われざるを得ない人は、現実的に思った以上に多いのかもしれませんが、自分が生きる以上身体はひとつで、出来ることは限られていますから、最後の砦の自分を自分で追い詰めたら、本末転倒です。

金銭的な贅沢は出来ない人も多いかもしれませんが、気持ちの贅沢は自分次第でどれだけでも出来る現実もあるわけで、この紙一重の感情のコントロールを、ぜひこの時期だからこそ実体験で自分のものにしたいですね。