くろま流 × NAGOYA式 ブログ

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今になって考える、平成時代とは何だったのでしょう。

世界は西暦を使って時代を刻んでいますし日本も例外なく西暦を採用していますが、日本には元号が存在し、それは天皇陛下世代交代した蔡に改められるもので、筆者は昭和生まれで今のところその時代に生きた年数が一番長いです。

ですので、昭和・平成・令和三つの元号をまたいだことに成りますが、昭和の次になった平成は個人的に違和感のある時代だったのですが、令和になった日本がこういう状態になった大きな変化が、昭和終盤から平成全期であった印象で、この平成とは日本にとってどんな役割をしたのでしょうか。

平成は、西暦で1989年1月8日 – 2019年4月30日までを差し、「プラザ合意」と「バブル」が終わった後に平静に変わりましたが、因みにバブルはご存知の方も多いでしょうが、プラザ合意は憶え無い人が多いと思います。

 

1985年、米プラザホテルで先進5カ国の蔵相、中央銀行総裁がドル安円高に協調の合意の目的で、財政と貿易赤字に苦しむアメリカが巨額の貿易黒字だった日本に為替レートの調整を約束させた取引です。

結果円は、対ドル20円上昇し1987年には120円となり、これでアメリカ不利だった貿易赤字も解消、同時にアメリカからの輸入品も増やされたため、日本国内の食品を中心に輸入が大きくなり、食品自給率が激減した上に、自動車を中心に工業製品も円高の影響を受けだします。

 

合意の後、アメリカの要求を国際協調と解して、当時の中曽根総理大臣は前川春雄・元日銀総裁に命じ、内需と輸出の国際協調のための、「前川リポート」を発表しました。

「前川リポート」の提言

  1. 内需拡大
  2. 国際的に調和の取れた産業構造への転換
  3. 市場アクセスの一層の改善と製品輸入の促進等
  4. 国際通貨価値の安定化と金融の自由化・国際化
  5. 国際協力の推進と国際的地位にふさわしい世界経済への貢献

つまり、これまでの日本は生めや増やせやで莫大な貿易黒字を作ったことで、世界の貿易均衡を著しくダメージを与えた、その反省として基軸通貨ドルに優位性を持たせるために、日本は自重して輸出より輸入を増やし内需構造を変えようと解釈します。

 

これはアメリカからの圧力によって、アメリカ巨額の貿易赤字の原因は日本経済の構造問題があり、何とかしろとアメリカ側要求を呑んだと言うことです、つまり日本はアメリカの雇用を奪っている悪者と認めたわけです。

この頃、かつての「JAPAN as No.1」から「JAPAN bashing」に大きく評価が変わり、そして制裁をちらつかせ一方的な要求をするようになったのですが、こうした圧力に日本からの譲歩が「プラザ合意」「前川リポート」で、ここから国際化・自由化の波が押し寄せてきます。

 

工業製品を輸出するばかりでなく内需拡大を図って輸入を増やす。

労働生活を改め積極的に余暇創出、サービス業を振興し消費増やす。

海外へ直接投資をして工場や産業を国外へ移転。

国内市場を開放+関税下げ、非関税障壁も撤廃し輸入促進。

金融を自由化、円の国際化に協力し国際協調と大国にふさわしい節度。

 

自由貿易を推し進めようとするアメリカの政策により、日本という出る杭は打たれたと言うことです、経済上の抹殺はかつての太平洋戦争の二の舞になりかねないと、畏れたのか彼らに従ったことになりますが、こうした政策は昔からのアメリカの常とう句であり、今のトランプ大統領でなくとも誰でもやると言うことです。

プラザ合意後の急激な円高不況によって、不景気対策金利を下げ財政支出の拡大を始めますが、これはアメリカからの内需拡大要請によって、円高不況と内需拡大圧力の結果、財政支出垂れ流しに向かい、名前は誰もが知っているバブルが始まります。

 

1987年頃から金利低下で円・株・債券高騰、土地の価格も急上昇の泡のように膨れ上がる経済で、日銀は公定歩合の引き上げを模索しますが実行せず、泡はし続け崩壊を迎えますが、崩壊後「失われた20年」と言われる時代が、ちょうど平成時代の中心になるわけです。

株式市場は暴落、土地価格も急落・短期間に1500兆円もの国の利益とび、政府は金融緩和と財政支出を続けまくった結果、赤字国債の発行残高は積み上がり、この頃から緊縮財政を始めますが、財政軽減は既得権益の団体から抵抗を受ける結果にもなります。

 

当時の日本は、アメリカからの内需拡大の強い要請で財政支出の拡大が正当化され、日本の世界協調の意志に反し、国際競争力を失う道を歩み始めるの平成時代で、財務省も消費税を始め緊縮財政を強化していきます。

平成時代に民主党が第一党になっている間に、国内は増々デフレ化が進行し、安倍政権後は、相当ヤバい状態からのスタートで、リスクも大きかったはずです。

 

アベノミクスを打ち出した当時、日本の国債発行残高は1000兆円を超え、国民一人当たり約1000万円の借金でしたが、この借金と言う解釈がこの後令和に近づくにつれ、大きな論争になっていくわけです。

ちなみに、このころから中国の国内工業生産性が高まり始め、日本疲弊に変わる巨大製品輸出国に成り代わっていきますが、中国共産党はこれまでの日本の歩みを反面教師にして、この頃からアメリの圧力に屈しない反アメリカという姿勢を始めたということで、米中の経済戦争はこの当時にもう決まっていたのかもしれませんね。