くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

日本人の善意は世界を救ったのか

75回目の終戦記念日を迎えた今年は、筆者も連続で戦争に関する記事を書きましたが、終戦後の私たちの日本は、他の敗戦国や搾取された発展途上国と比較して、幸運な戦後を歩んでこれたのかもしれません。

その理由は、賛否両論あるにしても戦勝国アメリカの国家再建の介入を赦し、他先勝国の関与を受けにくく出来たことが大きかったとも言え、実質上米国のバックアップ国となることで、経済成長も早かった。

 

そんな、独特な戦後成長と情報統制のかかった教育などを通して、私たち日本人は他国以上の多くの恩恵を受けられたことで、筆者は平和観や善悪観が独特に発展した気がしますが、みなさんは日本人がどれほど善人でどれほど悪人かを考えたことがあるでしょうか。

筆者は中学・高校の頃に精神論や哲学にドはまりした経緯があって、結構大真面目に理屈っぽいテーマを考えたことがありますが、今日本は希望した平和な社会で拘束的な宗教も持たず、経済的な余裕も手伝って思想の自由を謳歌してきました。

 

今でこそ教育格差とか、経済格差が問題視されはしますが、それでも世界の事情からすれば恵まれていると考えるほうが多いと思いますし、本来からの素朴な気質と性善説嗜好が強いことで、多くの人が自分は善人だと言う前提で生活できています。

戦後でさえそうですが戦前でも基本変わっていないようで、筆者は参考にYoutubeで「南滿洲鐵道 特急亞細亞號( あじあ号)特快列車之旅 日本紀錄片」という動画で、日本語圏の中国を統治した時代の動画を見てもそう思えます。

 

こうした日本人の意識では”あたりまえ”の平和意識の社会で、善人として暮らしてきたにもかかわらず、その経緯は省くとして世界は連合を組んで、善人を悪人に変えてしまったわけです。

その経緯によって、日本人の善人・悪人の価値観は混乱し、わざわざ敗戦国となって当時の中国からすれば極悪人にされてしまいましたが、今でも多くの日本人にはその強制に疑問を持つ人は多いでしょう。

 

戦後、敗戦国と自覚させられ価値観がゼロにリセットされた後、日本人は戦後復興から経済成長をがむしゃらに駆け上がることで、新たな善悪観を抱くようになったようですが、ある者はカネこそが正義であり善であると考えたり、事を穏便に済ませることが平和であり善であると考えた人も居たわけです。

総じて戦後に生きる多くの日本人には、消極的に波風立てず、譲歩や施しすることが善人の証だと考えることが当たり前になり、それ以外の価値観は出る杭を打つように指示しなくなっていきます。

 

この行動はある時から「赤信号、皆で渡れば怖くない」という当時の交通標語を皮肉った流行語でも分かるように、本来の善悪に関係なく集団化すれば何でも全に出来るという、不思議なローカルルールを広めることになったわけです。

その一方で時代劇の「水戸黄門」のテーマにある様に「くじけりゃ誰かが先に行く」(おいおいw)とあったように、助け合うのが日本人の美徳だったのが、競争時代によって隣人を足蹴にして這い上がる意識も在るべき善悪観をゆがめてしまったでしょう。

 

特に戦後の善悪観の様変わりは筆者の私感ですが、お隣の共産化中国の傲慢な意識や朝鮮時代の階級意識の影響が少なからずあったと考えていますが、同時に優位になった日本人の、在日中国人や韓国朝鮮人への差別意識も大きかったと思います。

戦前前までの日本人は見聞きする限りでは、もっと大らかで素朴で、それなりにあったと思われる差別や階級意識も受け入れて生きていたように思うのです。

 

その日本人の意識の変わり様は、無意識に価値観の混乱を及ぼし、いつの間にか他国に利用されている現実に気づくのを遅らせてしまったようで、裕福でなくともそこそこの中流意識が”利用されている”事実を、援助しているとか先進社会を謳歌しているとかの誤解を生み、皆で行動することで現実を非現実化させながら、結果的に自らの手で格差社会を仕立ててしまったことに気づかなかった。

その根拠はそもそも利用する側の協力者であった政治家や学者、経済人を野放しにしながら、彼らの一方的な偏った経済政策を見逃してきただけでなく、加担さえする者も少なくなかった、善悪意識の偏りが必ず付きまとっているからです。

 

かなり厳しい分析になってしまいましたが、戦後にドイツやイタリアなどの同じ敗戦国が当時然るべき制裁を受けたのに対して、日本はそれを免除される代わりに日本の英知を放棄し、戦勝国にすり寄る選択をしたこと、それ自身を天皇に押し付けて、どさくさを利用して、特別扱いかのように現在に至っている事は事実です。

国民の多くは、自分たちはそうさせられたと徒党を組んで言い張るかもしれませんが、それを翻せば皆で少しずつ旨味を奪い合って、戦傷を癒したにす義ないのかもしれないのです。

 

物事の真偽を量る基準としての”拠り所”に、原則強制的な宗教を持たない私たちは、その宙ぶらりんな状況で、善悪を判断してきましたが、あるところまでは教育された道徳や、習慣として残る神教のよる参拝の習慣や、仏教の先祖や輪廻の教えは、大きな支えになったかもしれません。

それでも教育の一貫性を欠いてしまった日本では、今後もこれらの教えさえも薄れていく可能性があり、単に個人の善悪観で世界中の人と対峙していかなければならなくなるかもしれません。

 

1945年から数え、戦後75年を迎えた今はその長い期間の間に多くの人達が、戦後から起きていた多くの矛盾に気づき始め、若い人から改めてその意義を問い直す意識は強くなっている気がします。

日本人にとって、その際に善悪とは何か、たった一人だけの善・もしくは悪が有った時に、どう共感しどう裁くのかをを考え直すのは、有意義なきっかけになると思い、取り上げてみましたが、最も怖いのは日本人の根底には集団意識だけで善悪の判断をしやすい悪習が付いてしまった分、しっかり善悪観を意識し、行動に責任を持つ姿勢を大事にしなければいけないと思いました。