くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

国際ノルマ達成の前に、国内地方格差を縮めるべき理由

世界規模におよぶ人口減少、その一方で自然環境破壊がピークに立った時代に反抗する様に起きる昆虫・鳥の異常増殖と暴走が、私たち人間の生活環境の発展にブレーキをかけようとしているかのうようです。

それに呼応して、日本も先進国のひとつとして最先端の社会問題や、未知の国内問題をかかえつつ、歴史的にも継続される近隣国の脅威や圧力に対処しながら、21世紀を迎えて久しいですが、国内問題で総括的である地方格差問題は、最重要問題でしょう。

 

 

 この格差が開いていくと言うことは、日本経済そのものの弱体化バロメーターそのものであり、国内で抱える諸問題の根本を成すものですが、もう二十年以上まえから懸念されていたこの課題に、ついぞ大きなメスが入ることはありませんでした。

その最も致命的な根源が”地方創生施策”であり、本来の主旨事態は期待されましたが結果として、権限の中央集中化と資金の緊縮正当化を実現する、体の良い隠れ蓑にされてしまいました。

 

その間に、国内経済を活性化させる常とう手段であった大型公共事業の大幅縮小、地方給付金に差し替えるように、特別予算の増大による予算振り分けの不透明化、人口高齢化・年金対策の遅れによる増税の正当化で、経済を極度なデフレ状態を長期継続させました。

この責任は現政権の自民党に全て押し付けられ、さらに野党攻勢によって行政機能そのものを疲弊させ、公務員とそれ以外の福利厚生の条件が時代とそぐわないほど乖離しています。

 

その公務員さえ、中央と地方の格差は広がっている現状を殆ど知られることもなく、単に民間の間で起きている格差問題として、愚痴のはけ口にされている現状では、ますます根本解決は程遠いものです。

その種は、地方創生政策にとどまらず今まさに地方にまで課せられる、世界的規模の共通目標”SDG's”が人知れず政府ホムペに掲げられました。

 

SDG'sはあまりにも規模が広大なため、本筋がぼけやすいのですが、過去にあった世界で提案された課題の集大成的な、グローバル版共通ノルマと言えるもので、先進国・途上国関わらず、半強制的に一律の基準達成を求めるものです。

内容を見れば”ごもっとも”で”前向き”な、今でも氾濫する環境問題の様な位置づけですが、この達成がどれだけ途上国の経済活性化に負荷をかけ、先進国の優位性をスポイルするか、あまり意識されていないかもしれません。

 

この有りがちなもっともらしい”共通目標”の題目が、あまりにありふれていて抽象的であるが故「なんだまたか」という軽い意識しか湧きにくいのですが、翻せば地方創生と同じロジックが隠されているでしょう。

つまり、抽象的ゆえに数字目標は途中からいくらでも変えられますし、子どもでも分かりやすいために拒否が難しいだけに、どの国の議題で本質が十分議論されることなく、何となく既成事実化しやすい目標と言うことです。

 

性善説で言えば無条件で受け入れやすいですが、例えば共産国家など性悪説の国は共感しなくても不自然でない、そんななんとなく強制されなんとなく抜けられなくされている、日本では前者なので有無を言う暇なく課せられています。

世界でも比較的優秀である改善国の日本でさえ、国内の課題解決に多くの浪費をする有様なのに、国内では戸惑いよりも過度な責任感が広がってしまっていますし、各目標が具体化されるに従い際限なく経費が海外に流れていくのは必至でしょう。

 

日本国内の根本問題の地方格差を是正する以前に、中央だけでなく地方レベルで目標達成は徹底され、今後ますます日本経済の立て直しが程遠いまま、海外ノルマにお付き合いしていくのは、どうなんでしょうか?

SDG'sは表向きには国連で総括された加盟国すべてに課せられるグローバルノルマではありますが、そもそも昨今国連という組織運営そのものが、疑問視されぞんざい価値への期待感も薄れつつある時代に、国際性をうたいつつ実質抜け駆け無用のような、縛り目標は、国家の統制化に貢献しても経済発展に寄与するとは思えないのです。

 

こうした自称国際団体から求めらられるであろう、静かな束縛(サイレント・ボンデージ)は名を変え形を変え絶えることなく私達の善意の行動に干渉し続けるでしょう。

最後に本題と纏めますが、人口減少中の私たちにとって最優先すべきは、余裕がない以上綺麗ごとをいう暇は無く、国内経済格差を縮める努力に集中すべきであり、そろそろ国際的な体裁を取り繕う姿勢から抜け出し、ハッキリNOと言える強い意志を海外に示す姿勢が、引いて国内課題へも前向きに働くと、筆者は信じています。