くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

日本の夢はまだ潰えず?……諦めたくない確信的な理由

 国産初となるはずだったリージョナルジェット機、スペースジェットの製品化への準備は、多くの試練を乗り越えながらも、アメリカで試験飛行までこぎ着けていたものの、開発予算縮小などでその行く先が危ぶまれていました。

この度、下記の通り関連会社がライバル社の管理部門を買収し、直接では無いにしても収益化する手段を得たことは、首の皮一枚つなげることに成功したと言うことでしょう。

 

www.aviationwire.jp

三菱重工、CRJ新会社「MHIRJ」発足 ボンバルディアから買収完了

 

 これまで日本とアメリカの間で、第二次世界大戦後以来に両国での暗黙の示し合わせでは、軍事拡張に重要に関わる技術の製品化には、センシティブな力関係が働いており、スペースジェットの製品化にもその力学は働いていたと考えるのが妥当です。

そうした関係によって、証明は困難にせよ陰謀論で片付けるには、余りにも生々しい事件やトラブルが付いて回っていた事と比較すれば、むしろ大きな進歩と言って良いのではないでしょうか。

 

この2国間のネガティブな関係は、未だ米側の国家戦略筋の間では、過去の世界大戦以来から殆ど動いていなかったと言う現実を、歴代政府の大きな足かせになっていた筈です。

ロッキード事件で某大物政治家が政治生命を絶たれた事に、ここ最近になって疑問視されだしたり、この変化はアメリカ側の日本の見方が若干ではあっても、ポジティブに向かいだしている兆候なのかもしれないと期待できます。

 

話は戻りますが、日本にとって最大の課題は人材の枯渇化も大きいにしても、技術開発力は至って健在でありむしろ誇ってはばからないことですし、むしろ市場がグローバル化する度に先行している保守戦犯意識によるいわれのない猜疑心と偏見の回避にあるのでしょう。

この通念がもたらす影響力は、当時の戦勝列強諸国に留まらずに、共産化を推進する国々やアジア市場をその渦に呑みこもうとする大国の国内搾取活動さえも助長させる有様です。

 

それでも日本の歴代政府や企業は、性善説に則って言われなき罪に甘んじながら、多くの犠牲を払いここまで進化してきたのは、奇跡ではあるでしょうが、これからのVR時代を担う世代においては、よりリアルな技術力よりも、仮想現実上で映える技術思考の鍛錬が求められる時代に、意識の改革無くして発展が見込めないのでは無いでしょうか。

人類は、ここ数百年間技術進歩は目覚ましかったかもしれませんが、精神面の進化は数千年前と何ら変わっていないと気づくと愕然としますが、劇的に市場が仮想化する未来を迎える今いよいよ待ったなしに進化を求められているような気がします。

 

国産リージョナルジェット機の開発元の三菱重工の技術力が、優秀さ故に規制の象徴とされ、日本の画期的先端技術は、陰ながらでしか世界の進化に貢献できず終いでした。

日本は人類進化において特別で、最も進化した種族だという都市伝説が囁かれるのは、そこ実に科学的根拠が欠いているにしても、世界市場において多大な貢献をしてきた事実が、過小評価された事実を思えば、それでも実直に甘んじてきた気質は、筆者も世界のそれと比較して優れていると自負してはばかりません。

 

その自負と自身は、仮想化時代後も引き継ぎ誇り継がれて良いことであり、大東亜共栄圏を目指した先達の意志はを、今後どう世界に活かしていくかにおいて、職人気質の国民性だけでは超えられ無い壁は何なのでしょうか?

私達に残された課題が、長期に継続されてきた民主的階級制の恩恵を、どう世界にわかりやすく証明するかであることは間違いないですが、日本人の気質は職人であるが故に限界があるのでしょう。

 

思うに技術向上を得意としてきた日本気質が抱えてきた壁とは、国家間パワーバランスに無頓着で消極的な気質にあって、それが政治家にしても起業家にしても、その優劣に関係なく人間関係の力関係に余りにも非力な気質が仇になる。

壁を作ってしまっている意識が弱く、長い間問題視されずに来てしまったことで、国際化の波に呑み込まれている実感が湧きにくい性癖が、国際感覚を掴むことさえ拒もうとしていないでしょうか。

 

百年前の文明開化より、技術力の国際化は乗り越え海外にも評価されてきました……がしかし、差別化意識の壁を器用に回避し、日本ブランドをアピールすることには未だできていません、この事実はもう諦めるしかないからでしょうか。

この課題は、相手側に多くの問題があるとすることに異議はありませんが、だからこそそれを受け止めた上で、どう日本をブランド化し売り込めるか、それを克服することこそ日本人に残された究極の壁なのだと思えないでしょうか。

 

このハードルは、おそらくどの国もどの種族も乗り越えられてはいない、人間の知的生物として限界とも言える究極の課題なのかもしれませんが、2千年を超えて同じ制度が引き継ぎされた軌跡の国こそが、先立って乗り越えるにふさわしいハードルだと自負したいものです。

日本国旗の由来を思い起こしてください、最新の研究によって存在が証明されつつある聖徳太子の目指した意味を、このハードルを超えるためにも私達は先祖の残してくれた偉大な智慧を、生かせないまま世界に埋もれていいのか? 

 

そんな中途半端な立ち位置のままで言い訳したくないし、明確で合理的な欠陥が見つからない以上、諦める理由はないはずですし、職人気質なら気持ち悪いでしょう。

生真面目で不器用な性格の人ほど、新しさを気取った華やかな流行やいい文句に過剰に影響されやすい傾向があると知られていますが、その前者が私達で後者は文明開化を持ち込んだ人々であり、双方の力関係は、近代の歴史を知れば変わっていません。

 

これはとても不自然なことですが現実であり、これからも殆ど変わらないかもしれませんが、変えられないことの一方で、その混乱を助長する者をよく観察しながら、その火の粉を祓いながら柔軟に渡り歩くスキルをカイゼンできるのも現実です。

日本が世界に貢献できることは、精神的に膨大であっても実は小さいかもしれませんが、VR化の最大の目標である、

 

「国という枠がこの先無くなっていく世界」

 

に置かれていても、日本が誇る精神性はこれからも引き継いでいける、それは誰もが否定出来ない明確な結論だということを、忘れないでください。