くろま流 × NAGOYA式 ブログ

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日本を南京事件に学ぼう。劇薬にも特効薬にもなる、歴史を生み出す意味

様々な学問がある中で筆者は歴史がとても好きですが、逆に多くの人の歴史が嫌いな理由で「年号暗記」の学問だと刷り込んでしまった悲劇だと思っていて、幸いに筆者はその罠からのがれられたことが幸いだったのでしょう。

歴史と言えば、戦国時代歴史ブームが有って好きになった人がとても多いと思いますが、後から好きになるのも前から好きになるのも、どちらでも私たち日本人には大切なことだと思っています。

 

筆者は古代歴史や逆に近現代史が大好きですが、その中で「南京事件」は日本人にとって、冤罪的歴史の一つとして常に悩まされてきました。

結論からすれば、明らかに冤罪なのですが、日本人と外国人の多くに歴史認識や価値観の決定的違いが基で、事実が受け入れられない歯がゆさを味わうことが、結構話題にはなっても乗り越えられない日本人故のジレンマを「南京事件」は示してくれます。

 

www.youtube.com

https://www.youtube.com/watch?v=E0qRG4cG_T4&t=15s

 

本来一枚岩でなければならない国内でさえ、日本人最大の汚点とか東洋のホロコーストと言われてしまうように、未だ日本人の中から不毛な言いがかりを掛ける始末で、それによって気の弱い人や潔癖な人まで「日本は悪人」という意識を持つ始末です。

その論争の到達点を探る意味で、上の小名木善行さんの動画はすべてを内包している名解説だと思いますので、迷っていらっしゃる方はこの時期だからこそ、ぜひご覧になっれることをお勧めします。

 

この動画のメッセージには、日本人が「南京事件」の冤罪を被らない対策マニュアルとして役立てるよう、4つの点の歴史を繋ぎ合わせて難問クリアするだけでなく、今世界からウイルス疑惑で注目される中国共産党(過去の中国軍と政府)の異常な凶暴さの所以を教えてくれます。

そして多くの方がその所業を知って、宇宙人だと思えるほど日本とは油と水の存在だと身に染みて解るでしょうし、これこそ歴史から得る知恵であり、それによって自身の次の行動が出来る準備に役立ちます。

 

さらに、日本人は武士道を頑なに守り通した国であることに感謝し誇る一方で、中国だけではない海外国の事情や主義の違いに、国民の平和で不器用な国民性や、日本政府の柔軟でない平和外交の姿勢の在り方を考えさせられるでしょう。

私達日本人の言動が外国人によっては、生真面目に正しいことを貫こうとする精神が逆恨みを生み、平和と戦争の解釈の違いを受け入れず抑圧を受けるなど、世界諸国の常識を受け入れない頑なさが、受け入れられないという乖離が在る。

 

「まさにドラえもんの、のびたとジャイアン

 

の関係が、往々にして歴史で起きていることがイメージできないでしょうか?

主人公である筈ののび太が時には巨悪の権化ジャイアンに搾取されるわけですが、この漫画のミソは単に勧善懲悪ではなく、悪が時には人間らしさも見せる点や、善が悪を懲らしめるのではなく自身の成長を見せることで、相手を納得させるという「日本の理想」を子どもに分からせてくれる点です。

 

そののび太の行動は、まさに4つの南京事件の間に日本軍がした行動を見ているようで驚きますが、原作者の意図が元々「日本人」の姿を描くことだったら、不思議では

無く、このマンガが大ヒットになった国には、日本と同じ世界観を受け入れられたという大きな証だったということなのでしょう。

 

 

かつて、日本が掲げた義勇軍が思い描いた「大東亜共栄圏構想」は日本のアジア先進国への「愛と誠」の行動に他ならないものでしたが、その愛と誠は「世界植民化計画」には不都合な真実でしかありませんでした。

小名木さんの歴史観は、上のお動画で語っているように、歴史をピンポイントや年号で考えず、経緯の流れを知ることで難攻不落の疑獄事件を見事に表していますが、いみじくも筆者が歴史を好きでいられたのは、歴史を流れで理解したことで人の歴史を楽しむことができたからでした。

 

人の残してきた歴史とは、人類が知恵や文字をもった時から残した人の足跡であり記録を言いますが、日本の歴史には人類のすばらしさ、日本人として生まれたことを感謝したくなることが、たくさん刻まれています。

しかし同時に世界と日本の歴史の対比には、主義主張の違いや多くの解釈違いで人の多くの悲劇も目の当たりにもするし、上に書いた世界植民化計画などという創作めいた現実が、年号暗記だけでは決して見えない、点と点を正しく繋ぐことであぶり出せてしまう怖さもあります。

 

その洗い出しには、厳密には当事者たちでなければ実証できない限界はあっても、歴史の空白をパズルのように埋められれば、その答えが多くの人生をより良い道へ導くことができる以上、決して無駄では無いでしょう。

歴史を好きになってのめりこんでくると、今からでは証明が困難な事実があることを何度も経験しますが、その行き止まりにぶち当たっても、点と点を繋ぎ合理的な流れを引き出せられれば、これは立派な歴史として解釈も可能であり、これは立派な科学や数学と同じ事実を導き出すための知恵と言う武器です。

 

しかし、そのパズル埋めはゲームの様に楽しく幸福なものだけではなく、辛く難儀な仕打ちなどの現実として見えてくることもあります。

多くの人は前者を望んで歴史を好きになりますし、それはとても人生を豊かにしてくれますが、大きな壁にぶち当たった時に劇薬である後者を選択しなければならないことになった時、そこからも逃げずに「そこにあるもの」を見出した時、劇薬は特効薬となってくれる、そしてもっと大事な事実とは、いまその瞬間にも私たちは歴史を作っている当事者であるという自覚だと思っています。