くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋発進 まちおこしに求められる情報を、幅広い時事から考える。

大人の事情で貶められる子どもの未来と可能性

今の日本では、どの分野でも国民というまだ優秀なリソースを、生かすどころか淘汰させさせかねないですし、その危機感でさえ正面で受け止めようとさえしていませんが、国民の私たち大人が、せめて出来るのは子どもに可能な限り多くのものを見せてやり、経済的に難しいなら、彼らの意志を尊重し行動を制限しないようにするしかないでしょう。 

 

人口抑制の目標もあったかもしれませんが、世界の大枠目標の中でも、いまだ子どもの搾取を何かの言い訳に正当化する悪が続けられています。

これは、どの国にとっても子どもは未来を繋ぐ宝であるという意識を、それぞれの国や資本組織がどう解釈するかによって、変わってきます。

 

今までは、人は寿命があり子どもに未来を引き継ぐしか成長できる方法を持たない以上、不用意に人口抑制はすべきでないし、あらゆる継承は子どもへ渡すことが普通でしたが、テクノロジーの発達でそうではないという意識も出始めたのです。

これは、人の人権を中心とした社会から、人をモノとして扱う社会との違いに当たりますが、これまでは前者は資本主義であり、後者は共産主義という短絡的で大雑把な意識しか持てなかったことが、大きな誤解を生んだと考えられます。

 

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グローバリズムとは?4つの特徴と反グローバリズム|政治ドットコム

 

ところが、グローバリズムという世界全体が有機的に機能する社会を実現する動きが標準化され、技術も高度に統一発展したことで、かつては夢でしかなかった人の価値を代替するテクノロジーが急速に実用的になったのが、それまでの人の価値観を変えることになると、筆者は考えています。

グローバリズムとは、マネー価値をさらに高めるシステムであり、その価値をより効率よく高めるためには生産性に非効率は人による労働力は相応しくないと考える経営者は増えていくでしょう。

 

加えて価値のある伝承は、単なる情報としてAI による管理が当たり前になれば、多くの子どもの価値さえも低く見られる時代が、来る可能性は在ります。

優秀な遺伝子の継承だけを効率よく行い、人が人を生み育てる際に起きる苦難や責任義務についても、唯物的な解釈が主流になるという、今の常識では考えられない選択も現実のめども立っているようです。

 

近い将来多くの人が、いじめ暴行殺人という人間特有の災難から逃れる手段を、人が人の姿を捨てる選択さえすれば、完全になくすことも可能になるでしょうし、それになれた未来の人々は、それを当たり前に受け入れる社会にもなり得るでしょう。

この未来の姿は今のところ、もっとも合理的な選択をグローバリストが実行した際に起きうる極論ではありますが、実際にその気になれば思ったより短期間で実現できるめどはついていると言われています。

 

それはあまりにもリアリティを持てないですしピンと来る人もほとんどいないでしょう、またこれも都市伝説だと一笑に付すことも可能でしょうが、筆者にはこの実現への足音は既に始まっているといういくつかの事実を見ている以上、黙ってはおれない気持ちです。

せめて自分だけはそれに加担してはならないと思うひとりであり、それでなくとも、子どもは今この瞬間にも、何らかの犠牲になっているのは事実ですから、それを助長する情報提供者や、偽善で子どもを利用する者など直接の実行者の含めて、彼らにごまかされないように、国民が監視すべきです。

 

この行動が今後も、これまで通り正義の行動であるように願っていますし、それをまだ多くの方が賛同していただけると思っていますが、私たちがその意思を貫くには、便利さを究極的に突き詰めようとするグローバリズムによる変化に、よくよく注意しその度に自分の判断や行動をを律していくことになります。

これは世代によって、また生活環境によって判断は分かれるところですが、人としての価値や倫理観は、その超効率化される社会の変化によって、大きく変えられていくことは選択の余地はないこの先、子どもへの愛情が人としての存在証明の最後の砦になることが無いように祈りたい気持ちです。