くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

住みやすい場所とは

日本は国の規模としては、決して広い国では無いにしても、1億人を超える人が暮らしていて、人口密度の高点で珍しい国かもしれません。

さらに、人の住みやすい平野部となると、更に限定されるために、限られた平野部に極度に人工は偏り、住みやすい都道府県ランキングでもお決まりの都市部が、高ランクに名を連ねるのが当たり前になっています。

 

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住みたい都道府県&市区町村ランキング【2019完全版】 | 日本全国ご当地ランキング | ダイヤモンド・オンライン

 

一方、海外のそれと比べて人気の傾向が異なる事情が、独特な点が見えてきたように思いますので、今回はその事情について考えますが、これは不動産情報にあるような選ぶ側の事情ではなく、選ばない方の事情を中心に書きます。

 

 人気の地域や土地を選ぶのは、より安全・快適に暮らしたいと思う本能的なもので、それを満たすために移転し生活向上をするのは、一見理にかなっているように見えます。

というのは、今既に住んでいる場所に満足しているなら言うことはありませんが、こうしたランキングが注目されるのは、そうで無い人が多くいそうだということを示しているか、そうで無いのにそうさせたい宣伝でしかないかだということになります。

 

前者と後者は立場が異なることはご理解頂けると思いますが、それぞれの需要と供給のバランスが保てているのなら問題在りませんが、後者の需要の方が強い場合は前者に‘’変えなければいけない‘’というプレッシャーがかかることになります。

その際問題は、それを実現するのには多くの人が、身の丈を超える資金が無ければおいそれとできるものではありませんので、もっと働いて資金を増やすか、借金をすることになるでしょう。

 

ここで見直して頂きたいのは、その犠牲を払っても新天地を目指す意味についてで、都市部に住んでいても地方に住み替える人、またはその逆だったり様々ある住む場所の価値観は、不動産業者が提供する以上に千差万別であるはずです。

大きな負担をする側が、本来おいそれと移転したり、不動産を購入する選択肢が少ない現実をどのように判断しているのでしょうか。

 

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郊外の自宅を売って駅近マンションを購入した60代夫婦の大誤算 | マネーポストWEB

 

 

筆者は賃貸派なので、持ち家をしたい人の気持ちは正確に理解できていないと思いますが、その根拠はプライベートスペースより、パブリックスペースこそ住みやすさにとって重要だと思っているからです。

更に、重要視するのは家が立っている地域の価値であり、その価値は金額に置き換えられるものでは無いと考えていて、その価値は周辺環境の馴染み良さと適度な人との触れ合いに満足できるかであり、自分の住む家に必要以上に投資する意味を持っていません。

 

ここで、敢えて持ち家派の人に問いかけたいのですが、プライベートに快適さや安心に投資するのと、コミュニティの快適さや安心を求めるのか、家そのものをグレードアップする前に考えてほしいと言うことです。

あくまで前者であれば持ち家は理想的です、しかし後者なら借金をしてまでも持ち家を持つべきかは、少し変わってこないでしょうか。

 

一方で持ち家派の中からは、賃貸派の問題点を反論したくなるのは解りますが、その指摘をする時点で、コミュニティの価値を優先させてい無いことになりますので、その方はそれで良いと思います。

また、治安や子育てなどの事情で家を選ぶ際、持ち家の方が理想と考えたり、地方で一戸建てを選択される人もいるでしょうから、それも正しい選択のひとつでしょう。

 

もう一つ、賃貸派でも持ち家派でも、人が移転する際に考慮頂きたいのは、家を買うために住む場所を大きく変えるメリットとデメリットで、この判断に不動産の宣伝効果に振り回され無いように注意が必要です。

まず、上で挙げたプライベートを重視した選択をする場合に、今住んでいる地域を安易に捨てないで欲しいと言うことで、賃貸派派は移転しやすいので尚更ですが、新しく得られた棲家はとても魅力的ですが、一方で1から新しいコミュニティに慣れたり作ったりしなければならない意味をよくよく考慮して欲しいのです。

 

地方創生を追ってきた筆者から見ると地域の住みやすさを、必要以上に比較したり特別視するのは、本質的に住みやすさを考えるのには、ここ最近ではむしろノイズになっている気がしてなりません。

 アメリカが持ち込んだ自由経済は、企業が利益を上げる目的が個人の幸福度向上よりも優先される経済であり、自由の意味も個人のそれではなく企業のそれであることを忘れてはならないでしょう。

 

このルールに乗るか反るかは人それぞれ文字通り自由です、しかし私たちは究極なかぎり人として快適な生活をする上で、このルールに従属することが正しいかどうか、考えた自由を選ぶ方が賢明では無いでしょうか。