くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

戦争の犠牲者が残したかった、ささやかでも力強い願い

悲しいかな、思い出に刻まれるはずの学校での生活を、ウイルス拡散で、自宅待機にさせられた子供たちには残念ではありますが、こうした思わぬ時間に普段学校では決して学べない多様な情報を拾い集めるのも良い機会でしょう。

そこでというわけではありませんが、今住んでいる日本がどうやって今に至って、これからどういう問題を解決すればいいのかを、深く考えるその助けになるであろうことについて、少しだけ触れます。

 

 

日本にはかつて「人間兵器」と言う発想の兵器があって、これは文字通り当時日本の宝と言われた人材を使ってでも、相手に物言える兵器を作らざるを得なくなったために、断腸の思いの結果生み出した苦肉の産物でした。

今では誰もが非人道的と言われる兵器が、何故にして世に生まれることとなったのかを、真剣にお考えになったことはありますか? もしそうでなければ、そのきっかけにしてほしいとおもい書きたいです。

 

その歴史の生き字引であった今は無き家族から、筆者は多くの戦争に関する生の声を聴くことができたことを幸運にさえ思っていますし、こうした事実を見聞きするたびに、書かずにはいられない思いでいっぱいになることがたくさんあります。

ただ、突き付けられるような自負や使命感のようなものではなく、ましてや綺麗ごとというよりも、誰かに書かされている様な、オカルトめいた比喩も否定できない程、降って湧いたような衝動に駆られて書いてしまうのです。

 

この感覚日本人なら、なんとなーく分かって頂けるかもしれませんね。

さて、本題に戻ります。

 

gendai.ismedia.jp

【戦争秘話】人間爆弾「桜花」隊長が終戦後に受けた「謎の秘密指令」(神立 尚紀) | 現代ビジネス | 講談社(1/8)

 

この兵器が存在した事実は、戦争が他人事と思えるほど平和な日本では、平和と引き換えの象徴だったり、二度と作ってはならない反面教師的なタブーとして、筆者の無意識に刻まれているのですが、この兵器の製作者と使用者をどこまで加害者として追及できるか、できないかはその背景をしっかり理解しておかねばできません。

今に生きる私たちは基より、当時の彼らにとっても「そうさせられた」と言われるかもしれないし、当時に生きていない大人たちからも、詳細の経緯が判らないと突っぱねれるかもしれませんが、それでは責任の所在を永久に葬ってしまいかねません。

 

筆者の結論から先に言えば、そのどちらにも責任が均等にあると思えてならないということですが、後に生まれた事実を盾に多くの日本人は、その罪を逃れようとしているとあえて言っておきます。

「過去に遡れない私たちが、過去を正すなど不可能でしょう?」と言ってしまえばそれで終わりであり、それでも彼らと違い未来の選択肢を持てる私たちは、それをすることで正せると言ったら、バカ呼ばわりされるでしょうか?

 

もちろん、人の肉体寿命には限りがあるので、お隣国が押し付けるような永久責任を負うことは不可能ですが、キリストなどの賢人が、生まれながらにして人は贖罪を抱えて生まれてくると表現されたように、その罪は当時から自覚されていたはずですし、単に筆者の妄言では片付けられそうにありません。

新しく生まれてきた自分が既に、まさか穢(ケガ)れているとは、気のふれた異常者として気味悪がられても仕ないのかもしれませんが、過去にもそれに気づいて、その現実を伝えた人は星の数ほど居たし、未来にもおそらく後を絶たないでしょう。

 

人が人を諫めようとするのは原則アンフェアであり本来不平等な越権行為ですし、「アンタはそんな偉そうな人なのか?」の一言で何も言えなくなってしまいますから、本来キリストのような特別な存在でないと説得力は得られないかもしれません。

それでも、口をつぐむことができない人が後を絶たなかったのは、それが私たちに背負っている十字架であり、そこから逃げることができないためで、つまり人間の英知テクノロジーは、その進歩に役に立っていないともいえるのです。

 

日本が仕掛け最初から悪役で始まった第二次世界大戦の見返りとして、アメリカやソ連(現ロシア)などの戦勝国は、敗戦国のドイツや日本から多くの知財や人材を「ペーパークリップ作戦」によって合法的に奪うことができました。

その、まんまとせしめた戦利品を最大活用し、彼らはロケットを造って新たな新天地を求め、月へも野望を広げましたが結局失敗に終わったし、今では中国もそれに加担し始めていますが、それは地球の未来のためとはとても言い難いようです。

 

その際散財された莫大な予算は、どこから補填されたのでしょうか?その中に日本が含まれていたのは言うまでもありませんが、その日本を拠点にして地上にも未開拓のフロンティアを構築するために、アメリカ式自由圏をアジアに根付かせる政策を展開してきたのです。

その間アメリカは、唯一の被爆国となっている事実からも、敗戦国日本を実質上の民主制自由主義や多くのリスクの実験場・人柱として犠牲を強いてきたわけですが、この現実をリアルタイムで生きてきた人々が、私たちに真に伝えたかった事とは、何だったのでしょう?

 

筆者はこう捉えています。

 

彼らは好き好んで戦争をしたのでも、仕掛けたのでもない。

差別に虐げられるアジアの未来のため、

日本の残してきた子供や家族たちのため、

貰いのために、我々はあえて毒を食らったのである、と。

 

私は少なからず、この本音を体験者の話から読み取ることができましたし、それを踏まえた上で、こうも捉えました。

 

そして、彼らは最後に家族を思い、妻や母へ自分の非力さを悔やみながらも、

せめて自分の命と引き換えに、生き残るであろう命へ、自分の命を託そうと、

必至に、その直前まであえぎながら、葛藤しながら死んでいった。

 

彼らは、避けられない現実と究極の選択に迫られ、

生物と人との間で葛藤しながら、

一生懸命に、考える葦とならんことを実行して見せたのです。

 

肉体を捨て精神を手渡そうとしたに違いないと想像するのは、美化したような作り話なのでしょうか、それとも限りなく逸話に近い話なのでしょうか。

 

最後に、日本人がスポーツで連携をとても重んじることが多いのは、単なる縦社会の後遺症なのか、しっかりとその意思が継がれているのか。陸上リレー協議でもバトンの渡し方に究極までの美学を求めるのは、単に几帳面な性格故か、意志継続の現れなのかを自分なりに考えて欲しいのです。

いずれにしても、選択肢の無い死の道を取らざるを得なかった、多くの犠牲者とその未来は、正しく引き継がれなければなりませんし、日本の美しさを残してほしいというその思いを、そして日本で生きる以上は行動で示す未来を取ることは、日本の遺伝子を引き継いでいる確かな手応えを、筆者は感じずにはおれません。