くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

グレタさんの一件を再考してみた成果

まだ子どもであるグレタ・トゥーンベリさんの行動力については、日本でも一定の評価が付き出した今、筆者もこの騒ぎに結論を出していいか今一度考え直すために、敢えて今取り上げ直したいと思いました。

筆者のスタンスは、このブログでも書いてきたように子どもの権利や立場にはセンシティブで、大人の子ども搾取においてはそれが顕著に強く意見したくなっていましたが、グレタさんの一件は子ども搾取の意識が低かったのが、正直なところでした。

 

おそらく皆さんと同様かも知れませんが、一定の彼女の行動力を評価する一方で、その子どもの純粋な意識を環境ビジネスや市場正当化に加担させられる事への、同情と哀れみしか持てませんでした。

ただ、影響力のある識者が支持する意見に単純に擦り寄っていないかを、ここで確認し関連する課題に活かそうと言う趣旨で、見直します。

 

style.nikkei.com

グレタさん育んだスウェーデン 保育園から民主主義|WOMAN SMART|NIKKEI STYLE

 

今更彼女の素性を繰り返す必要は無いと思いますが、この才能が開花したのは産まれ育った母国の教育制度が大きな効果を表した事を評価し、北欧のこうした考え方や文化に憧れやすいわけですが、この環境は国民が負担する世界でも類を見ない重税の対価による恩恵です。

 

税負担については、日本では消費税が問題視されるのですが、こうした福利厚生への使い回しのできない税が重くなり、スウェーデンのような福利厚生への税は、子どもたちより高齢者介護などの老後生活の補填に消えています。

こうして見ると、そもそも北欧型の税徴収と日本のそれとは、経緯も事情も根っこから異なるので、そこまで遡って見ないと、何の役にも立たないことは明白ですが、スウェーデンの主張は正論ではあります。

 

カリスマキッズをフラグにして、環境活動を実行する手法是々非々あるとはいえ、日本も方向性として世界にアピールすべきオリジナリティの構築は、日本の民主活動の屋台骨であるのは変わらないので、長く続いた西洋思想や文化依存から、少しでも早く脱却して、良き日本をビジネス面だけでないフィールドへ広げることが、この一件で重要なのでしょう。

おそらく仕掛けた側の思惑は、日本がこれまで通り賛同し環境ビジネスの礎にならんことを期待してのことでしょうが、思惑とは立場が変わればまた色を変えるものですから、単に同調したり反抗する以外の選択肢はあって然るべきで、それを日本は未だ行動していません。

 

その奥ゆかしさは、日本ではどれ程の美徳であっても世界では永久に評価されることはありませんので、思いやりの表現として敢えて意見を述べずに相手に悟らせるつもりでも、互いの関係づくりや下地もないうちから、それを期待するのはかえって誤解を生むだけです。

日本人が国際化の波についていけないと言われる理由が、ここに在るという自覚を新たにした上で、相手に伝わる表現と行動をどう取っていくか、グレタさんの行動はその参考になっているのではないでしょうか。

 

彼女を人柱と見るか、象徴と見るかは見る側の都合でしかありませんから、あくまで相対的な現象と捉えたときに、そこに何を学んで何を批判するのかの根拠を、ひとりひとりがしっかりもって考え行動で表現するには、実践を積むしかありません。

その時に注意が必要なのは、国やコミュニティーによって基準がそもそも異なる善悪の判断を、自分の生活範疇と基準だけで下すことが、どれ程無意味でしかも危険なことかを知っておいた上で、行動できるかが大事で、ここで人に流され易い日本人の弱さと闘うことになるんだろうなと学べたのは、再興してみて有益でした。

 

彼女の意見については、筆者の別ブログにも寄稿しましたが、このテーマはとても広く深いものだと思っています。

目線を変えて考えてみるとか、発想の転換への参考になればと思い、リンク貼っておきます、よろしければご覧戴き比較してみてください。

 

pws.hatenablog.jp

グレタ・トゥーンベリ・シンドローム - くろまのパーソナル・ワークショップ