くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋発進 まちおこしに求められる情報を、幅広い時事から考える。

怪物と対峙しなければならなかった、少女の境遇

 この映画が公開されたのは、日本でもフジテレビが仕掛けた韓流ブームが上り調子の06年の頃で、筆者も当時CG技術でも注目され出した韓国映画のクオリティに、驚嘆しながらみた記憶がありますし、皆さんの中にもご覧になられた方も多いと思います。

下記記事のように、今になって再浮上したのは当地韓国の経済低迷による不景気を、喚起する意味もあるのかもしれませんが、今となっては日本にとって理不尽な政策を取る国の現状に、万感の思いを寄せる意味は小さく、過去のものとなりました。

 

cinemore.jp

ポン・ジュノ監督『グエムル-漢江の怪物-』にみる格差社会と、怪物の正体とは? |CINEMORE(シネモア)

 

 映画公開当時は、日本人の筆者には韓国が輝いて見えましたし、初めて渡韓した時期とは格段に進化した韓国への期待も大きかったのです。

ただ、改めて見るこの映画の示す意味は色が変わってしまったように感じられますし、彼らもその自覚があって欲しいと願わずにはおれませんでした。

 

大好きな映画ネタをこのような形で紹介しなければならないのは、文化推しの名古屋住民からして遺憾ではありますが、今の日本がそうなりつつあるように、この国の文化が政治と余りにも乖離した事で、国の発展のバロメーターである文化が、その本来の目的から離され、政治のコマにしか使われ無くなってしまった。

結果的には、文化だけを見てその国を判断出来なくなった事を意味し、日本でも我が愛知県でもそれが表面化した流れにつながっています。

 

この国内での騒ぎはもうメディアから抹殺されましたが、忘れてほしくないのは個人の人権や民主制を声高に愛知県の過ちを正当化した人々は、ある意味この文化と政治の乖離の犠牲者の、心の叫びとも取れるし、その意味では同情もできるでしょう。

ただ、韓国を始めそのバックの中国が仕掛ける思想洗脳は、明らかに不当でありこのドサクサにおいても巧みに利用されてしまった点は、私たちは改めなければならないでしょう。

 

日本は世界に類を見ない真面目な国であることを、どの国も知っていますが、それを利用されやすい現実は、裏読みを良しとしない性善説史観故なのかどうかは、ここでは書きませんが書かなくとも自覚しなければ、日本の主張は永久に認められません。

いじめられっ子が立ち直るためにはどうするかの課題の解決ヒントに似ている、この課題の解決には映画の主人公がとった、怪物にも怯まない勇気と、自分の道を切り開く意志と、何よりも生きるための行動に、全てが隠されているのかもしれませんね。