くろま流 × NAGOYA式 ブログ

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子どもに教えられてしまう、陳情と権利への誤解

お隣の台湾では総統選挙が実施され、民主独立派の現党首が続投を決め、今年に入って明るみになった肺炎拡散についても素早い対処行動を起こしたことは、筆者にとって驚きでした。

この行動力が台湾だけの成果だけでは無く、お隣香港での中国に対しての市民運動に大きく刺激を受けた延長であるのは確かでしょうが、日本は近隣国への対応と行動が遅れ、過去の関係に引きづられたままなのは、大いに再考を要するでしょう。

 

中国の影響をーが少なくない日本でも、他人事でないにも関わらず、臨機応変に時には拒否する選択を取らない弱さを克服するのに、私たちはどれだけの時間がかかるのか、その改善には国民の意見を素直に受け入れ、堅実に社会の仕組みに取り入れる事へのチャレンジと同じです。

日本はタテ社会の慣習が今でも根強く、下層部は上層部への忖度を常とする傾向は、未だ私たちの性根から消え去ることができていませんので、そもそも国内での国民の権利の主張を、正しく行使しできていないケースが往々にしてあります。

 

 

それは、国が守ってくれるから当然だとか、警察に任せれば安全だと言う、依存体質からくる責任転嫁と、その依存からくる権利の放棄が慢性化していたのかも知れませんね。 

任せてその結果円満に解決すれば、それに越したことはありませんが、現実的にはそうならないケースが最近つとに問題視れだしたり、良からぬ新たな問題を生み出している事実を、本来なら自分の主張と行動で変えていくしかありません。

 

 

 

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「社会は変えられる」という自信に。小学生の陳情を区議会で採択 - まぐまぐニュース!

 

 記事の小学生たちは、「サッカーが自由にできる公園の整備」への要望によって、行動で示したわけですが、ここまでは子どもが起こした自分たちへの革命だったわけです。

では、私たち大人はこの勇気と行動力を、単に羨んだり賛美して終わってはなんの意味もありませんし、本来の民主社会の目的は、市民がより良く生活できる環境づくりが優先されるべきなのに、問題を起こしその火消しに始終する現実から見ると、いつも間にか当然の権利を勝ち取れていないことへ、猛反すべきです。

 

子どもたちが示したこの勇気は、なにも大なたを振るって大単に行動しなくても、彼らのように小出しでも素直に行動すれば良いだけなのに、その超えるべきハードルや壁を大人自信が都合よく作り上げて、それを理由にしているだけでは無いでしょうか。

 

 また、世代によっては、たてつかない教育に違和感さえ持てない人が、大きな地位を締めそのハードルをいかにも堅固かのように見せかけていて、お上に無力であるという根拠のない希望の放棄をして、納得していると言われても言い返せないでしょう。

その中で、子どもが示した行動は、チカラはなくともハッキリ主張することで、無視できなくなる事を示したのであり、民主化への本来の進むべき基本ステップでしかないのです。

 

今まででも、若者のフレッシュでピュアな主張や意見は、何かのイベントや節目に華やかに祭り上げられては来ましたが、スウェーデン出身のグレタさん同様に、現実は甘くないのだよ、と大人の一方的な事情で済まされてきた気がします。

日本のメディアや環境・民主化団体が、ことさら彼女を取り上げがちなのも、日本に環境配慮の意識が出来上がっているからであり、子どもの些細な主張が話題になるのも、社会改善の敷居が高さと壁が周知されているから、特別視されるだけです。

 

素直に見れば、新しい世代での生活環境や教育面で、改善が進んでいて変化や良い影響が出始めている兆候だと捉えることに、否定をするつもりはありませんが、実際は昔も今も子どもの主張を訴える環境はあったし、単に子どもから大人になる間にその期待と認識が様変わりしているだけなんだと気づけば、今こそ大人が行動すべきでしょう。

その対処療法のステップ1としては、現実に生きることに必死になるのは仕方ないとしても、なぜそこから抜けられないかを自分なりに見直すしかありませんし、今一度権利の行使という有権者の盾と矛を磨き直すきっかけとして、それをささやかでも行動に移していきましょう。