くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

日本の誉れとは。

トルコで発生した、地震災の被災者の方に、その悲しみの共有と復興の願いをお伝えします。

 

さてこのブログでは、何度も地震についての話題を取り上げたり、その観測や技術の進歩について書いたりしてきましたが、今回も最新の話題を基に記事りたいと思います。

中国から広まるコロナウイルスと称される感染問題が起きたと思ったら、親日国であるトルコで起きた地震の情報が流されてきましたが、今年次々に起きる様々驚異に、皆さんはどのように考え行動されるでしょうか。

 

ここまで連続すると、何に注目すれば良いのか感覚が麻痺して来そうですが、判断力が持続する限りしっかり情報判断をする練習をしておきたいものです。

筆者がこの記事で気にしたいのは、他人事とは思えない被害者の安否と言う人道的視点と、震源地が地下10kmと言う技術面の情報で、おそらく前者の意見は他の多くの発信者においてされるでしょうから、敢えて書かずに後者について書きます。

 

web.smartnews.com

トルコで地震 18人死亡 (テレ東NEWS)

 

この、日本の震災でも耳にする震源地の数字が、どこまで正確なのかは筆者に証明できる術はありませんが、この共通点が意味するものが単なる偶然なのか、必然なのかはとても興味がありました。

これが偶然であるかまたは地球物理学の面から震源地の特徴であれば、それなりに納得もできますが、これが人為的に起こされる技術的な震度限界だと見ると、目線は一気に変わってしまうので、是非とも専門家のご意見を拝聴したいものです。

 

ただ、この可能性について公言することが専門家の存在意義に、如何に高リスクかを考えれば、その要求行為は虚しいものになるのでしょうが、今話題にあがりやすい異常気象と言うタグ付けされる情報でも、諸説や研究論文が発表されているように、地震についても業界では異端とされる意見にも、目を向ける習慣は重要なことでしょう。

筆者が今書いている文章を構成する一字一句が、リアルタイムに読み取られているように、研究発表者や情報発信者は、リスクを背負っているのかもしれないのです。

 

陰謀論者が真しやかに言う、正論者は人知れず消されると言う都市伝説を真に受けていたら、こんな記事は世にさえでないでしょうが、地震についてもいろんな可能性を考慮し、避けられる災難と避けられない摂理は、区別できないか模索しておきたいと考えて書いています。

特に地震災害については、日本人にとって津波と同意に深刻な眼の前の大問題ですので、特に慎重に積極的に知ろうとするのは、当然です。

 

その行為をする上で残念なのは、何らかの基準で異端視されている、本来日の目を見る価値のある論文が軽んじられる懸念です。

専門家は、サラリーマンと違って自分でパトロンを探し、研究費用と最低限の生活費を捻出するスキルを強いられますので、時としてパトロンによっては忖度をせざるを得ない立場で、それを単純に責めるのには無理があります。

 

別の記事でも書きましたが、こうした基礎研究費の投資額が、年々偏りを見せていると言う課題を、雇用者の目線だけでは実感できないし、現実離れした他人事で済ますことに、罪悪感さえない人が多いのは、当然と言えば当然です。

見返りの無い情報には、それがどれほどの存在価値が有ろうが無かろうが、そこに判断基準を置かない人が増えているのでしょうか。

 

実際に、地震の基礎研究をされている日本の識者は、今の所この分野でも最先端を行っているのは事実ですが、日本の大学の世界ランクが下げられている事実を放置すれば、日本が誇る基礎研究スキル優位性は日に日にスポイルされ、どこかの国に盗まれてしまうでしょう。

せめて、地震津波に関してだけでも、できれば生体医療技術研究も、日本のお家芸として百年後でも評価されるように、投資を考えられるように情報を平等に収集することは、大きな役割を担う行為なのです。