くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

ご近所付き合いのヘタウマ

狭い日本で、多彩な文化や習慣・しきたりが混在してきた経緯の中で、人々は妥協の美学を身体で会得してきたのかもしれませんし、日本がこうした地政学的な経験と学習は新たな段階に進んでいるのでしょうか。

その根幹には、古くから付き合いのあった大陸と半島に住む人々との交易を介しての、ご近所付き合いの歴史でもありましたが、この関係はこれからも続いて行くことになりますので、特に影響力が強いと言われる大陸国の文化や習慣を、私たちの習慣とどうすり合わせ許容するか次第です。

 

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韓国・文在寅は何がしたかったのか…「GSOMIA騒動」が与える影響(佐藤 丙午) | 現代ビジネス | 講談社(1/8)

 

そのきっかけに良くも悪くもきっかけを与えているのは、大陸と日本の間を取り持つ半島の文化や慣習ですが、そもそも歴史的にみて戦後受けてきた教育ほど実際は半島文化の影響は無かったと分かってきた今、私たちは独自のアイデンティティを見直し、日本の強みと弱みを見定めて、今後中間の干渉のない大陸側との付き合いを模索していかなければならないでしょう。

この課題に対して、彼らは過剰なアピールを始めており、それを負担に感じる国内の意見も目立っていますが、まだまだ筆者も含めて半島側の意見が標準として採用される風潮は一般的です。

 

私たちの総意がこの風潮を認めるのなら、それはそれで民主主義に叶っているのかもしれませんが、こうした流れが一見心地よく流される危険性も持ち合わせており、日本人が平和ボケと揶揄される一因にもなっているようです。

この傾向はタイトルにも表現したように、目先のご近所付き合いだけの危険性を持っていて、決して大袈裟でなく極々ご近所との付き合いが浅くなっている今、立派な戦術を立てて付き合う計画性が、あることを示しています。

 

あくまで硬く言えばということですが、特別論理的に考えるとか理屈っぽく行動するということではなく、普段のお金の使い方と同様に人脈作りや、コミュニティとの付き合いには、結構な策略が必要であるのは、主婦の方をはじめ交流力に長けた方がにはいうまでもない当たり前のことです。

しかしながらあえて書くのは、周りを見ていてネット環境普及で孤立できる環境に慣れすぎた方々が、当たり前のスキルをお座なりにしがちな今でこそ考え直したい課題なのかもしれないので、敢えて取り上げた次第ですが、今日本を支えていると言われる政治家でも社会慣れしていない純粋培養されたような方々もいらっしゃる中で、市民にはそれ以上の社会との関係に課題を持っている人たちの、本来持つ可能性をどう広げるかは、自身の改善努力も去ることながら、周りのコミュニケーション力やサポート力が試されるとも言えます。

 

今まで、比較的近くにあって交流が深い隣国でさえ、北のそれと南のそれとは大きな隔たりのある解釈がされている現実は何であるのか、そして経済的にも寄与したはずの北の同胞と、戦中しか影響を与えていない南の同胞と比べると、なぜ後者の方がより親日的行動を示しているのかのジレンマは、何を示しているのでしょうか。

それは日本が歪んだ親日感を抱えたまま今にまで至ったツケと、両国は

それぞれが辿ってきた小国のあるべき独立心と大国への依存度のバランスだったと見ていますので、この結果に対して見えてくる日本のご近所付き合いのスキル改善をする上で、中で済む私たちのコミュニケーション戦術として?問うてみましたが、皆さんのおお考えはどうでしょうか。