くろま流 × NAGOYA式 ブログ

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人の本能と心の防衛

こうした問題は、本来は専門家が指摘すべきかもしれませんが、素人がどこまで語って良いかの線引きもありませんので、一意見として職場や学校での対人意識について書いてみます。

専門家がと断ったのは、筆者の関係者の精神障害に対して、素人判断で対応しようとした際に、手を出すなとそれに関することに拒否があったことに由来するのですが、その後色々考えると複雑な思いが残ったことがきっかけになっています。

 

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実は職場で嫌われてる…!?周りが軽蔑してるやりがち行動6つ|MINE(マイン)

 

精神に関する原因と結果や症状は、医学的には過去の実験や観察によって得られた結果から、脳や身体の科学的に統計を採ったデータから推測したもののみが、信用に値するという原理原則があるのと、その結果に対し発生する責任が大きいのだと思います。

例え家族であっても、良かれと思ってした言動が結果的に仇になるリスクを避けざるを得ないことから、専門家への依存度が高くなるということですが、実際精神障害に関して、リアルに知ることができるのは当人だけであり、表に出たものの観察より本人の普段の言動に気づきやすい家族の方が、事実を捉えやすいとは思うのです。

 

さて日本の人は、周りから嫌われるという評価を必要以上に敏感になる傾向があって、これは多くの人が体験上実感されていると思いますが、この行為が元で健康上の障害が問題視されていますので、考えたいと思います。

狭い日本で、集団意識が比較的高く、良い意味で連携作業を得意としている日本人はこの点では海外からも評価が高いことから、むしろ伸ばすべき特性です。

 

この特性が仇になって情緒障害に繋がる悲劇は、私たちが意識している以上に身の回りに罠を仕掛けるように存在していますが、これは日本の社会が個人経営より多くが雇用の労働者が安定して続いたことが大きいのかもしれません。

よく日本は、アメリカの後追いと言われながら、今まで事実その通りになってきましたので、それが普通になっているようですが、これは日本人にアメリカの文化が好まれていたからだけではありません。

 

日本人の連帯思考は、狭小地でムラ単位で共存する知恵の連帯主義ですし、アメリカは完全に個人主義の国ですから、本来基質からして異なっていますが、歴史背景からみて、江戸明治あたりから、本来東洋的だった日本が西洋思想に強制的に変えられたことで、連帯と利己が複雑に混ざっています。

また日本人は、神道由来の共通ルールの範疇で異文化と器用に折り合いをつける起用さを持ってきただけに、新しいものには比較的寛容で人懐っこい性格も持っているようです。

 

 こうした、歴史や文化由来の社会からくる、人の行動の制限や抑制がストレス化につながるという公的要因と、個々の生活サイクルとのギャップをうまく埋められない人から、順番に精神を疲弊していくことになります。

いくら人との接触が苦手であっても、ネットなどの利用で社会と関わることができるのは、目や音で入ってくる情報を整理して咀嚼するスキルが有れば問題がないわけです。

 

引きこもりと一括される人であっても、全く病まない人も少なからずいると思われるのはこの事実があるためで、むしろ専門家が貼るレッテルによって、余計な心配事を増やしてしまうリスクを、私たちは自覚すべきです。

日本は特に世界のそれに比べて、許容度が高く規制も緩い社会ですから、それを比較的器用にいなす日本人は、それだけプレッシャーや心配事が多くなる傾向は避けられませんので、そういう社会に生きている自覚と、自分の不得手なことに対する距離感を意識して避けるべきは避けていかないと、大きな落としにハマるでしょう。

 

むしろ、専門家の診断にはこうしたアドバイスは含まれず、生じる症状を抑えたり一時的に止める処置が中心になる以上、薬による物理的抑制をされたことで、気分が安定はしてもその先の改善は、ひとりひとりの自助努力になります。

つまり心の安定は、一時的にはお金で買えますが人の頼れず、自分がどれだけ自己観察の習慣が持てていて、自分をどうすべきかを知っていることに尽きると思うのです、このスキルを普段から養う方がどれだけ、自分のためになるかを理解した上で専門家の意見で補うのが ベストと言えないでしょうか。