くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋発進 まちおこしに求められる情報を、幅広い時事から考える。

戦争から引き継ぐべき事実と学習

日本人にとって、過去の戦争体験やそこからもたらされる戒めは、人によっては様々な意味を持っていて、ひとりひとりの行動に制約を起こしていますが、特にNHKをはじめとするTVメディアから流されるそれは、申し合わせたように一律に見え、私たちの多くが同じような意見によって戦争を判断しています。

その平和と戦争の対比や、戦争が人を不幸にすることに全く同意していますが、どうも片手落ちであるような、気持ち悪さを感じています。

 

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壮絶…奇跡的に生還したパイロットが「墜落した瞬間に思ったこと」(神立 尚紀) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

 

戦争体験者が、都市を追うごとに減っていく中で、生の戦争への声やそれによる貴重な学びができなくなっているのは、その戦争から学ぶべき事が単に恐いもの、またはしない事が優先される事に、その偏りを見ます。

偏りに見えるのは、日本が関わった戦争の引き金になったきっかけや、経緯が薄められると同時に、戦争の備えを放棄するべきかのような意見が、常識かのように広まっている現実です。

 

まず、残念ながら世界に組み込まれる独立した国家を維持するのには、時に戦争による解決を避けられない以上、いざ有事に対して準備と備えは必要不可欠なはずですがその意見を重要視するメディアは、自然災害の重要視と比べると、根本的な姿勢が異なっています。

この情報量差は、災害のそれのほうがより身近なので有って当然ですが、それぞれの報道姿勢が異なるのは不自然ではないかと感じるのです。

 

次に、筆者が直接戦争体験者から聞いた事実や意見がや、紹介記事のような情報からは、単に戦争を反対する意見以上に、学ぶべき貴重な意見が含まれていますが、TVメディアで共通するそれは、戦争放棄関わることを殊更繰り返しているだけで、なぜ戦争をしたのか、その過程や結果がどう判断され、どういう未来を作ることになったのか、事実を語る番組はNHKしかありません。

しかもそのNHKの番組さえ、最近のそれは一部の重要な判断や経緯が、日本政府や軍の暴走で起きたと偏った報道を繰り返す内容が多いことにお気づきでしょうか。

 

もう国営放送のNHKでさえ、実質は民間広告企業の影響下に置かれて以来、戦争に対するその使命が変わりつつあるようですが、TVを含む広告企業の最大目的が、国民を騙しているとは言いませんが、彼らの影響力が生じるか義理優先されるのは消費者よりスポンサーである以上、情報に偏りが生じるのは道理です。

また、同時に戦争のきっかけや経緯を誘導できたのは、当時の政府や軍人、もちろん国民でもなく、その大規模な影響力を短期間になし得るのは、メディアでなくてはできるはずがありませんが、それをメディアが語らないのも道理なのかもしれません。

 

しかしながら、私たち国民にとって国内TVや新聞などのオールドメディアの報道が、スポンサーに忖度されることで、偏りが生じるのはそもそも情報入手の意味がありません。

しかも、未だ比率的にはその偏重傾向のあるメディアを頼らざるを得ない人々も、少なくはないという事実が、今の政治や選挙の結果に大きな悪影響が出るのを看過できないわけですから、国民自体が正しい情報を仕入れ、全うな判断力を維持するためにも、まだ寛大なネット情報との差別化をする意味と、違いが早く理解されることを願わずにはおれません。

 

最後にもう一度戦争体験の情報に戻りますが、生の戦争体験の話の中で、筆者が今でも印象に残っているのは、悲惨さよりもその中でも知恵と工夫を忘れずに、精一杯前向きに生きようとした、誠意と強い思いがどれだけ希望をもたらし、モチベーションになったかでした。

もし、戦争に再度加担することになった時に、私たちの生を助けてくれるのは、絶望でも恐怖でも、受動的なものではなく、積極的にその場の危機を避け、1分でも命を長引かせる人間本来の本能の素晴らしさでした。

 

今の私たちに必要な、戦争からの遺言は単に戦争をしないことではなく、起きたときにその回避と延命に必要な実用的な精神力と方法ではないかと、筆者は学んできたのです。

それは自然災害が避けて通れない日本独自の国土と、いかに付き合っていくかの考察へと繋がりますし、それに対しTVは命を守る行動をしてください、とお経のように責任転嫁を繰り返すばかりですが、その姿勢は有事においても戦争放棄など何の救いにならないのに、スポンサーの市場安定を優先させる報道の偏りは、全くもって平和ボケの行動にしか見えないのです。