くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋発進 まちおこしに求められる情報を、幅広い時事から考える。

大学経営の変化

 ついにと言うかようやくと言うか、意見が分かれますが、この国の教育の主体でもある大学教育制度や、それを維持する組織体制の見直しが始まっているそうです。

人口減の余波で今後子どもの数が減少傾向になるのを見越して、需要に対して過多な大学の整理統合が政府レベルによって、ようやく始まったこの動きで、公立の比率が高い超中高の組織編成も含め、今後教育制度がどれほどの変革で現状にマッチングできるか注目です。

 

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「大学統合」が地方創生と再編のきっかけになる | 本当に強い大学 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

そもそも国内の教育体制は、国を拡張するために政府が経済政策の次に優先させた、言わば緊急措置の一つでしたが、危機管理や経済成長の政策がひと段落した時期に、時代にあわせようやく変革の大鉈が振られたということなのでしょう。

それ自体は前向きで、消極的な政府の行動として歓迎し、むしろ遅いくらいですが、その変革は、文部省から文科省への統合と同じく、政治行政に携わる官僚の仕組みへのリストラともきっては切れない事実だけに、どれ程の変革がされるかは疑問を残しています。

 

その動きの一方で、私たち国民にとっては、特に子どもを持った教育を真剣に考えてなければいけない市民への影響力はとても大きなもので、それ以外の市民にとっても次世代の働き手の意識変化に、大きな影響がある以上決して他人事ではありません。

この大きな変化は、戦後にGHQが誘導した範疇の米国を始めとする、諸国の優位性をどれほど自国に引き寄せられるかに、最も注目する必要があると考えています。

 

未だに戦勝国からの呪縛は、教育を通してコントロールされている、または自主規制されていることを理解しておく必要がありますが、まずはそうした時代背景と経緯によって私たちの学んできた教育た知識を、疑うことから始めないと今後少なからず時代に置いていかれるということです。

ただでさえ、教育環境が明確でなく教育委員会などの検閲や指導によって、公平性を欠いた教育を、私たちが受けてきたかは疑いたくはないですが、概ね事実だと筆者は認識しています。

 

教育制度をまとめる側としては、ある程度の治安と思想コントロールは止む無しとは言え、その傾向は時代の変化に柔軟でないばかりか、今でも多くの科目である意味こだわりが感じられます。

教育を受ける側で直接受ける子どもたちにその情報の選別するスキルはありませんので、それを見守る大人が自己が受けた教育の修正やリニューアルをしながら、最新の情報でより公平な教育へ導いていかなくてなりません。

 

この難易度ウルトラC級の荒技を強いるのが、甚だ酷なのはありますが、その柔軟性を訓練する意味でも、とても有意義な見返りがあると期待して、実行するしかないと思っています。

この動きを進める上で問題になるのは、こうした情報のリニューアルが困難な境遇に立つ市民への、市民による理解とサポートでしょう。

情報難民と言われてしまう市民は、経済的・環境的に孤立した立場にあって、希望の意志にかかわらず、多くの不平等によってその行動ができないこと、それによって社会全体の知識の共有に支障が出てしまう以上、まずその立場を理解しながら、可能なら身近な人に啓蒙をすることが、全体の早期改善につながります。

 

 今回取り上げたのは、大学制度の見直しから始まる教育インフラの整備の話題ですが、それに止まらない見直しは、今からも私たち側にも課せられたテーマでもあります。

日本は個人化が進みつつあると言われて久しいですが、それでもまだ人々の助け合いや声かけの慣習は根強く残っていますので、人が歳を経る過程で染み込んだ思想や認識を変えるのは、簡単ではありませんが、少しでもその助け合いで日本の正しい事実や、本来の持ち味を生かせる啓蒙が市民レベルで、自主的に進められることを願うと同時に、それが真の民主主義の原点だと言える国にしていく姿勢を持っていきたいですね。