くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋発進 まちおこしに求められる情報を、幅広い時事から考える。

性差がもたらす人口減少

政治家の口から、女性は家庭に入って子どもを産み育てるのが当たり前、などと言う意見が出たりしたのは、政治家の子どもの時代に受けた教育によって、その基礎が作られたことを考えれば、理解できなくはありません。

ところが、時代に合わせて教育の方針や、それに併せて人の認識も変化していたり、その変化に気づかないまま、当時の常識を今のそれとの差を考えないで物言いをして、大きな恥をかいたりする姿が起こる事が往々にしておきます。

 

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世界から後れをとる日本の性教育 「寝た子を起こすな的なクレーム」も

 

日本は、他の国と比べて差別意識を無くそうとする意識は高いが故に、こうした性差別には敏感ですが、基をたどればその判断基準のひとつに性教育への意識が含まれています。

この性教育は、他の学習科目の変化とともに、文科省(旧文部省)の指導要領で世代によって変化していて、世代認識のギャップの一因になりますが、親子間でも一般人間関係でも、その意識差でコミュニケーションに影響が出るとすればは考えものです。

 

 一番近い外国の台湾や韓国での性知識の教育は、事実をそのまま伝えているよう。で、日本のように独特の配慮という意識から、事実をオブラートに包むことはないように見えます。

この差は一見小さく見えますし、意見によってはむしろ日本の方が行き届いているように感じられる方も少なく無いかも知れませんが、実際には国内外でのこの意識の差によって、日本人が性犯罪に巻き込まれたり加担する悲劇が少なく無いのも事実です。

 

かと言って、ちゃんとした教育をすれば上手くいっているのか、といえば事実はそうでもなく国ごとの独自の慣習による歪みが基で、根絶はあり得ないわけですが、この性教育の遅れは性犯罪だけでなく、一個の成人としての精神形成の軸にも関わる、重要な要素なので、この改革をおざなりにする問題は幅広く根深いものです。

日本がこの問題に配慮し続けた経緯についてはここでは触れませんが 、最近ようやく向き合う姿勢を示せたのは、幸いでしょう。

 

今後は子ども世代と古い教育や意識の大人世代との確執が、どこまで社会に影響を及ぼすかが関心事になるでしょうが、大人がまずは定着した性意識をどう改善し、子どもたちの意識とすり合わせしながら、正しい意識と行動に導いていけるかは、結構難儀な問題になるでしょう。

日本には、性意識だけでなく何かと事なかれ主義が横行するケースが圧倒的に多く、しかしその根拠は単に重要度の大きさとは、関係ない場合が多くあります。

 

問題を理解している者にとっては、事の大きさを課題に触れ回られるのを恐れるあまりにの行動であれば、知るべきなのに知れない人にとっては、致命的にさえなり兼ねません。

一部の当事者の不正隠しや問題の隠蔽によって、知らない者が意味不明な迷惑を被ること、その事に配慮が行き届かなきのは、正しい配慮でもなんでもありません。

性教育のあり方に見られる配慮が、果たして前者か後者かは特に未成年者にとっては、確実に理解させなければなりませんが、大人の多くが付則の過去を表沙汰にしない配慮をしている間は、彼らは自助努力で乗り越えなければならないのです。

 

このような非常に困難な状況では、子どもたちは多くの知識の吸収や、自己実現をするにはハードルが高すぎます。

自身の過去受けた理不尽を、大人になってまた子どもに強いてしまうのは、過去を大人になるまでに咀嚼できないまま成人する大人の多さを示しているのかもしれませんが、まずは性意識への奇妙なわだかまりを今からでも一度深く掘り起こし、自分の行動にどう影響を与えているかを自覚する機会を持ち、その深度と自我への影響力を知った上で行動する習慣が、必要だと考えています。