くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋発進 まちおこしに求められる情報を、幅広い時事から考える。

時代に合わせて、日本のカタチを取り戻すための考察メモ

 時代に変化にライフスタイルを変化させようと、私たちの中には断捨離が流行しましたが、日本も世界のトレンド変化に対等に渡り歩くために、断捨離を真剣に考え行かなければなりません。

 西洋諸国が、経済成長ピークを過ぎ下降と言われて久しいですが、日本はその最先端を行くと言われるばかりか、中国や東南アジアに至るまで、近未来の模索への様々な事象実験が暗黙のままに進行している事実にお気づきでしょうか。

 

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人口急減時代の「日本」という国のたたみ方 | 政策 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

 お気づきでない方もいらっしゃるかもしれないので念のため補足いたしますと、例えば日本ではデフレを前提とした緊縮財政が、これまでの金利政策の常識を覆していることを証明してしまいましたし、MMT理論として纏められアメリカでも警戒されました。

中国では、国民の思想・行動をコントロールするIT技術の事象実験が結果をだしており、またウイグル自治区で中国政府による市民への政治介入によって、情報統制で真実を隠しながら非合法な臓器移植ビジネスのコネクションを構築していたり、分断された国家が一つになるときにどう介入していくかとか、東南アジアにおいては発展途上国に対する経済優位性をどう図るか分析していたり……とか。

 

幾らでもその痕跡は見つけることができますが、こうした事象実験は資本主義圏では欧米が、共産主義圏では中国(ロシア)が公言し実行している事実であり、未だ日本でさえも彼らからすれば実験場の一つでしかないと見るべきです。

その現実をTVメディアを中心に情報制限して解りにくくしているので、私たちの多くからすれば「ありえねー」となるわけですが、今周辺国で起きている事案を一つ一つ冷静に照らし合わせると、静かに日本でも既に進行しているのに気づくと思います。

 

日本は実質上では先進国ですが、一回の敗戦を機に常任国入りをはく奪されたままであり、そんな発言権さえ持たない小国が、世界の大国をさしおいて稀有な債権国でいられるのはことが真の実力なのでしょうか?

国を分断されたまま放置され続ける不幸な隣国と、境遇はさして変わりないと言っても言い過ぎではないのでは?他国で同じ境遇のドイツはどうでしょうか、この国は分断と合併、常任国はく奪を一国で経験した国ですが、これをアジアで見てみると朝鮮と日本にあたり、この事実が単なる偶然とは筆者は思えません。

 

つまり常任理事国からして、感覚的に朝鮮も日本も大して変わらないのでしょうし、あとは役に立てば美味しい思いはさせてくれていますが、未だに主従関係は根強く残っており、それを理解していないと矛盾を感じたり、理不尽な体験もする人も多くいらっしゃると思います。

日本がどこの属国かは、いまさら言うまでもないでしょうが、私たちが思っているほど対等な条件で張り合うことは、戦後70年以上経った今もできていませんし、日本政府が外交下手に映るのはこの事実誤認や勘違いが原因であることが多いと思われますが、だとすれば、皆さんは日本人として情けないと思わずにはいられないでしょう。

 

こうした背景において着々と進んでいる、教育制度の偏りや情報偏重によって、私たちは国の誇りと自尊心を奪われ、本来の平和志向が良いように利用され、へりくだる哀れな人民となった一因となっています。

そう、そもそも私たち日本人は他国の人と比べれば、全然平和志向の人間なのですよ、しかしそれと同時に実直で責任感が少し強い分、責められたときに自分ばかり責めてしまいますが、他国ではそんなことはむしろレアケースです。

 

 

これを受け入れることから始めなければならない人は、衝撃が大きいかもしれませんが、既に自覚される諸氏はすでに「負けない日本」についてプラクティスにいそしんでおられるかもしれません。

まだの方は今からでも、心の総決算・棚卸を実施したうえで身の周りの、あるべき姿を思いおこしてみるべきで、これこそ内的な自由を得る最短コースになります。

 

今少しずつ、日本における近代歴史の経緯が見直されることで、これらの不当に気づきだした人が増えつつありますが、そのヒントはご面倒でも明治維新から太平洋戦争、その戦後までを、教科書で学んだことを一切捨てて記録された事実だけを見返していただければ「日本人だけが、戦争の罪を背負ってしまった」経緯が、思った以上に容易に解けるでしょうね。

近代の歴史には日本の正当な事実が多く残っているのに、意外に事実を端折られていたり、ぼかされていたりしたのですが、これの罪は日本が戦争をするに至った経緯があいまいにされたことであり、さらに年号をまる暗記させられる苦痛によって、正当化していいことと自責すべきことが、正確に判断できなくなった上に敬遠さえしがちですが、実はとても大事な事実を知ることができると思うと、身が引き締まる思いがしてきませんか?

 

そのうえでの断捨離がもうすでに求められている段階であると同時に、その一環としての「憲法九条」の改定は、本来の日本人を取り戻す意味で、そして誇りを未来に引き継ぐためにも、不可避な手順であると考えられないでしょうか。

例えば事実として、金で買えていた安全保障は金が尽きれば妄想でしかありませんし、国を守ることに限定すれば、かつて誇り有った日本も当たり前の様に軍を持っていた頃は、対等に他国への国際発言権をもった常任理事国だったのです。

 

この事実を、単に軍拡という狭い視点で見てしまえば、多くの人が「恐るべき行為」だとか「断固反対」となるでしょうが、そもそも論を思い出していただければ、本来それが普通に国民が支持してきた日本のあるべき姿なのです。

私達の中には、少なからずいる「日本が武器を持つこ自体が罪」だと何かにつけて言い続ける内外の人がいますが、そうした状況こそ絶つすべきであり、その代わりに忘れさせようとされる日本人の厳格さと平和主義を思い返せば、武器を持つことの罪から解放されていかないでしょうか。