くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

年に一度の収穫祭という日本人の知恵。

 世界には意外に稀有な偶然の一つに、日本には四季があって日本人の情緒形成に大きく影響を与えたと聞いたことがありますが、確かに腑に落ちる思いをされる方は少なくないでしょう。

 これが事実だとすれば、この恩恵は日本人の生活リズムにも大きな影響を与えたでしょうし、古来から住む日本人はその日々の繰り返しや季節の変化をうまく利用した、仕事のサイクルを作ったとも解釈できるでしょう。

 

主体を採集・農耕民とされるの日本人が、年に一度の実りの収穫をモチベーションにして、一年で起こる様々なリスクを乗り越える知恵を構築してきたことで、本来今でさえそのリズムはわたしたちの向上心を支える柱となっていたはずです。

ところが現在それが崩壊している、明治維新以降大きく西洋の歴史に沿うことで、日本の主産業が自然由来の農耕から商工業へと極端に変えられた歴史事実、それはすなわち日本人の文化や慣習の終焉だけでなく、日本人が進化するリズムや士気の大幅な低下をももたらしていないか?という実感が起きたのです。

 

単に、時代の変化に従順に行動する性格は、日本人の良いところと同時に、それを利用して社会的入植を図られる災難を過去何度も経験してきましたが、変えるべきと訴える者たちよりひ引き継ぐべきと行動する者たちが主導すれば、良し悪しの如何にかかわらず、多数決で決まってしまう災難を考え直す必要があるかもしれません。

変わるべきは変わるべきかもれなませんが、不用意に変えてしまうと重要な精神や、それによってリズムさえ崩し、最後には体への大きな変化につながっていくという事例なのでしょう。

 

ある時から日本人の精神的な方向性が混乱させられ、大きく変えられたように見えますが、これは進化の歩調と同じくらいの遠大な感化でしょうし、更に方向性の変化がネットワークの時代に入ってそのスピードは明らかに早くなっていて、私たちはそれに適度に順応できないまま、一生を終えてしまう人も出ているわけです。

 

そうならないためにも、日本人だけが理解できる「良き日本」をより具体的に考え、心に落とし込んでおく必要が、これからの時代には大切なことになるでしょう。