くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

不安定な世界状況にあって生きる日本正史の意味

私たち住む日本の歴史は国民全員が原則教育で学んでいる通り、世界でも稀に見ない長期の歴史を持った点で、これからも引き継いで然るべき歴史なのは、誰もが否定しないでしょう。

愛国心と言うと、偏った目で見たり、戦争を好む人と決めつける人が国内にも存在することは悲しいことで、素直に生まれ育った国、国籍のある国を愛するのはごく当たり前の感情なのに、それができない風潮の存在はカイゼンすべき問題です。

 

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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190815-00010006-bfj-soci

 

昨年から百田直樹氏の「日本国紀」のミリオンセラーや、正史である「日本書紀」「古事記」や関連書籍が再注目されたのは、日本にとって改元という年号の節目もあるかもしれませんが、日本の在り方が見直され国民のルーツへの関心が大きかったことを何より示しました。

人にしても国にしても生まれた以上アイデンティティーの確認はだれでも確かめたいものですし、結果愛国心を改めて再確認することに、何の問題あるのかを改めて問いたいと考えました。

 

表題通り、多くの国が不安定な時代にその存続をかけた戦国時代とも言える今において、愛国心の真価を精査する行動は当たり前の行動ですから、その時代を早くから察知し行動に出たアメリカのトランプ大統領は先見の明があったことを証明したわけです。

この未だ手法に納得できない向きには、批判や反感は多いわけですが、民主国家アメリカの総意として認めた上で、日本の行動を決めなくてはならなくなった安倍政権は、多くの歪みを抱えながらも対外的には正気を保っているのは幸いと言わねばならないでしょう。

 

もちろん既存の利害や不利益との兼ね合いで、国民からも多くの不満や実害を生じている事実や、それに乗じた反日本勢の撹乱も高まって、その危うい現状への突破口は見えていません。

 そこで国民がどこまで耐えられるかという経済的な現実と、精神的なモチベーションの持続を保つために、愛国心の過去の功罪と未来の効果について考えたいですが、過去にネガティブな印象を持ち続けたデメリットでしかなかったのではないかという気づきを共有したいわけです。

 

 筆者が愛国心を確認しなおす過程で単純に感じたのは、正史を他国の政府や識者に正誤を正されたり、無効化させられる謂れはないなと言うことで、この他国の……の部分には国内でも”他国の知識思想を疑わない日本人”も残念ながら含まれていて、私たちは正当な国史や習慣さえも、許そうとしない者の存在によって混乱を招いています。

お隣の中国や韓国では、他国他民族は同じ権利を与えないばかりか都合によっては命さえ脅かすのは普通の習慣でしたが、日本では敵でない限り受け入れ権利も与えられていました。

 

もちろんその権利が十分でないのは事実ですが、他国の常識よりははるかに緩いものでありましたが、その権利を拡大解釈し教育や国政にまで干渉するまでになった背景には、日本人の甘さがあったのかもしれませんが、その結果日本の愛国心は地に落ちる今を迎えたのではないでしょうか。筆者は愛国心を持つべきだとか、滔々と啓もうする気はありません。

ただ、その国に生まれたものはもちろん、育った人々が普通に持つだろう素直な前向きな感情を、国内外から批判指摘されるなど全くもって納得がいかないだけで、この感情はどの国の人でも同じであるはずです。

 

この感情は本来、歴史的にも社会的にも、経済的にも恩恵をもたらす基礎になる大切な感情であり、過去の罪によって差し引かれるような量的な財産ではなく、人として当たり前のポジティブシンキングであって、これを阻害する者は民主社会を否定する個人であっても、愛国心が不都合な団体であっても悪意があるとしか思えないのです。

日本国内外で人として普通の感情を阻害しながらも、権利を得ている者や同等の発言力を持つ者が、私たちの直ぐ身近にいるばかりか、自己の主張は押し通そうとしている矛盾が常習化される今に、愛国心は最も簡単で有効な精神安定剤なのかなと思いました。