くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

●足元救われた思いの、地元民のあいちトリエンナーレへの思い。

 津田総合ディレクターは、事の矛先を逸らそうと躍起になる一方、共同主宰者愛知県からの公式な言動は一切見られない中、開催地名古屋市の河村市長は、民意を即日汲んで行動に出ました。

それに倣って、愛知にゆかりのあるタレントのフィフィさんや、今回の問題の元凶になるチュチェ思想の解明撲滅に力を入れるジャーナリストの有本氏がも即反応してい

 

 

 いちいち反応するのは、彼らを増長させるだけなのですが、なりふり構わず芸術にまで偏向思想を刷り込もうと体当たりしてくる一派に対し、無視を決め込んでもだめですからの、目をそらさず国内に巣食う膿を排除しなければ、この問題は終わらないと悟りました。

そのために、隠れ潜む内部の隣人にさえもメスを入れるべく、身の回りの労働環境や教育現場の密偵を観察し差別化して対応を使い分けるくらいの徹底さが必要なほど、極めて身近な夏の宿題です。

 

感謝いたします。私達愛知県民は、この一件を通して労働・教育現場の成り立ちを、学習しなおさなければなりません。パチンコ発祥の地であり、製造業の雇用にも独自の事情など、偏った思想の影響を受けやすい環境が揃い過ぎています。

 

お早うございます。そうです、この一件で愛知も他人事ではなくなった、ああ悔しい。とはいえ考えれば愛知含む東海は、リベラルを決め込むインテリ意識が強く、宗教や偏向思想に傾き易い風潮が元々ある地域で、朝鮮系娯楽産業の発祥発展の地だったり、外国人労働者を積極的に受け入れた事情があった。それらの背景の末、今回芸術が利用された、黒歴史にならないといいが。

 

 

 などなど、在住者が言うのもどうかと思いますが、愛知県は全国でも地元にコンプレックスを示す意見が多いのは有名になってしまいましたが、それはひとつにこの地方の特徴として教育に力を入れていたことで、PTAや教育機関の影響力が他県に比べて強いことや、民主主義(リベラル)政党が支持されやすい地域があるなどで、与党の政策には厳しい傾向があるようです。

これが良いことか悪いことかの回答はここでは出しませんが、こうした独自のバイアスの結果、あいちトリエンナーレ表現の自由を再度問うという企画に、待ったがかかったことに過剰反応を示した県民や、それに便乗した団体・思想派が問題を大きくしたのでしょう。

 

筆者は純粋に芸術思考の旺盛な県民性は支持しますが、その芸樹祭がこのような結果になったことに憤りを感じますし、愛知県知事はその収拾をつける動きを取るどころか、一定の責任があるもののそれに一切触れようとさえしない姿勢は、とても残念でなりません。

この主張には憲法21条の表現自由の保証が必ず盾に使われますが、その主張にこだわるばかりに本来優先される国民の生活に関わる税金の使途に大きな誤解が生じていて、こちらのほうが重大ですし、表現の自由は保証されるべきですが国の根幹を揺るがす否定に反感を禁じ得ない意見を無視できるはずがありません。

近いうちに開催されるジブリパークの構想が持ち上がっていましたが、開園しても全国の支持が保てるかとても心配です。