くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

大人が本来子どもたちにしなければならないこと

子どもが正常に成長できる環境に、メディアの報道は過度な便乗をしているように見える昨今で、意外なところからまっとうな成功事例が届くことに、考えさせられることがしばしばあるものです。

統計学の数値を正しく把握していれば、発展途上国の子どもたちの識字率貧困率は思った以上に改善されていると言われますが、現実は日本でさえ十分とさえ言えない生活に苦しむ子どもはまだまだ多くいます。

 

www.huffingtonpost.jp

雨乞いしかなかった村で、少年は学ぶことを諦めなかった。風車で未来を変えた14歳の物語 | ハフポスト

 

そんな中でこうした希望の持てるメディアニュースは、一時のオアシスのようですが、生活苦をバネに知恵を絞り出すスキルを子どもたちに学んだりしてもらう機会をどうすればよいか、考えることは大事な大人の役割のひとつです。

大人の多くがこうした生きた事例を美談で済ませる人が多いほど、この少年の起業成功率も変わってくるでしょうから、なんとかこの流れを継承する工夫が必要です。

 

では、大人はこうした子どもたちにお金を提供したり商品を買ってあげれば貢献したことになるかと言えばそうでもなくむしろ本末転倒で、一時的な善行欲を満たしたに過ぎないわけですが、だからといって大きな投資をすれば良いわけでもありません。大事なのは彼らに大事な「継続の場」を作ってあげられるかのほうが、はるかに効率的なのがおわかりいただけるでしょう。

 

子どもに興味を持って好奇心を生むチャンスを作る、これは単に大人の都合だけで子どもの言動の邪魔をしないだけでも大きく貢献したことになり、なんか納得しにくいかもしれませんが、無意識にそういう状況にしている事例は思う以上に存在していますのでばかになりません。

いわゆる「大人のおごり」を少し顧みて減らすだけでも子ど模たちに、考え工夫する機会を得られることに、大人は意外に無頓着だったりしますから、その意識を行動に示すだけでも十分でしょう。

 

子供を実際にお育ての方々なら、実感されることはしばしばあると思いますが、メディアが過度に危険を煽る時代に、不本意ながらも子どもの自由を犠牲にしなければならないジレンマは、親子関係にも大きな負荷をかけてしまいます。

意外と地味で地に足の着いた発想で大人が生活できていれば、過度にメディアに煽られず子供の自由を確保できる機会はまだまだあるように思いますが、気持ちの面で子どもに危機感を煽るのは直情的で、むしろ自らゆとりを放棄する行動を子どもに見せる教育上のメリットがあるかないかを見直すだけでも、ゆとり教育に大きな成果を出せるかもしれません。

 

子供は、大人が思う以上に自然や現実的な現象から自由に学習していく才能がそなわっているようですから、大人は可能な限り放任の場を作ってあげるのが最も効率的で理想かもしれません。

だからといって生活の現実は大人それぞれ違いますし、厳しさを隠すのは親心なのかもしれませんが、唯一我が子を守れる親御さんが、過度に無理すれば歪は自ずと大きくもなり、元も子もありませんので、それは現実的に素直に見てもら雨しかないですが、子どもたちはその中からも生きる上で大事なことを学び、親の後ろ姿から不幸よりも愛情を感じてくれるものだと思っています。

 

子どもの心は、良くも悪くも素直で、前向きなものです。

私たちはその心から学び、見守る姿勢を忘れないようにしたいものですね。