くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋発進 まちおこしに求められる情報を、幅広い時事から考える。

強者意識を持たせた時点で負けと言う話

 いじめの問題の奥底には、大人の事情の犠牲というこのテーマでは表だって議論されない事実がある以上、対処的ないじめ対策で解決を見るのは困難でしょう。

特に昭和中期かから経済成長政策によって、過激な競争社会の中で育った子供らが、今大人になって築いた社会にさらされる子どもたちの人間社会は、当に親たちの代弁戦争に他なりません。

  

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いじめっ子の親には"内容証明郵便"を送れ | プレジデントオンライン

 

競争社会で生き抜いてきた彼らが親権を持つに至って、その行使に競争原理を持ち込まないはずがありませんので、今起こる問題の帰結に至るのは当然といえば当然で、モンスターペアレントなる造語もその象徴です。

彼らは子どもの頃に、努力の代償に得られるべき結果として、成果と権利を得ることを学び周りからも評価されつつ成人したことから、勝ち組こそ正義というロジックに縛られる傾向が大きいようです。

 

筆者もその世代のど真ん中で学び育ってきた一人ですが、その過程でいじめの加害者・被害者の両方の立場を経験したのも同じでした。

 今の子どもたちは、競争を生き抜いた大人に保護される傾向があり、事なかれ主義の中で、多くのリスクを体験できず育っていかなければなりませんが、それが当たり前になると、体験を共有できない相手の境遇を見失い、その思いやりも浮かばなくなってきます。

 

体験できるのは自然からでなく、唯一信頼の置ける親からのインプット情報だけで、それ以降親と同じ時間や人生を埋めていかなければならないわけです。

世代はその国の教育がもたらす一種の洗脳とも言えるでしょうが、良くも悪くも人を盲目にさせる危険をはらんでいる以上、思考の自由を奪う環境に子どもが晒される機会をできる限り減らすのが、私たち大人の最低限のマナーなのかも知れません。

 

大人の私たちは子どもと比較しても、単に長く生きているだけ経験値が長いこと以外に優位性はありませんし、競争意識をむしろ子どもに向けて「今の子どもは境遇が恵まれている」「過去の自分と重ね合わせる」大人が、虚しい思いを子どもにぶつけているだけのようにも見えてしまいます。

もしそのような理由がいじめの温床になっているとすれば、いじめは子ども同士の問題ではなく大人のはけ口として利用される限り、当面世代交代まで根本的改善は見られないかも知れません。

 

特にこれからは圧倒的に子どもより大人の数が多くなる時代を迎えるだけに、子どもヘイトはむしろ複雑化するかも知れませんが、大人が担っている子どもへの影響力を我が子を持つ親、そうでない大人も関係なく一度人生の断捨離をしてみる必要があるかもしれません。

思い出してみてください、子どもの頃に幸せに感じたことと不幸に思った記憶など、多感な子ども時代に体現がどのように今の自分の人格形成に影響しているかを。

 

かつていじめや虐待を受けた経験者は、同じことを子どもにしてしまうと言いますが、それを糧に反面教師にして健気に自分と闘っている人もたくさんいるはずです。

その経験を生かして繰り返さない努力こそ、大人にしかできない大事な素質である以上、勝ち組だと自負するものこそそのステータスが与える、子どもへの悪影響に敏感になるべきですし、その成果の結果負け組という対象を生み出そうという一方的なロジックが、いじめの根っこにあることを忘れないでください。