くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

コミュニティ化社会での集会所のカタチ

次の世代を担う子供の安全を奪う事件が、令和になっても止むことがありませんが、そんな中でも私達大人は冷静にその解決法を考えて実施しなくてはなりません。

その解決へのアプローチには、いくつかの入り口があるのでしょうが、今回はコミュニケーションと学習の場について考えますが、全国で行きつけのカフェ・店舗やスクールがにわかに学び・話し合いの場に利用されるシーンが増えているようです。

 

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悩める「青葉区オジサン」が集う理容室の秘密 | 「コミュ力」は鍛えられる! | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

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死産・流産経験者のカフェ 寄り添い、支え合う場所に | 社会 | 論説 | 福井新聞ONLINE

 

世の中はメディアなどでグローバル化と盛んに言われるのですが、思うほど繋がりは薄くむしろ人は分断され、繋がりや情報共有が困難になっている印象が強いのではないでしょうか。

メディアのいうグローバリズムは、世界主要企業が商圏統合によってその中での優位性を高める動きなので、一般的な意味合いが違い紛らわしいのですが、私達が働く職場や扱うサービスの絡みで巻き込まれているので、他人事では無くむしろその関わりによって生活の中で大切な情報共有の場を失っている気がします。

 

 この情報の分断は相当深刻で、最近偏りが顕著なTVメディアだけで毎日を過ごす高齢者や、ネットメディアも危険性だけが強調され、個人化が進む中で昔のような直接人同士の情報交換をできない人が増えれば、それだけ自分たちが住む地域の関心はますます薄れてしまいます。

昨今はこうした課題を地域単位ですこしづつ解決しようとする試みが増えてきたことは喜ばしいことで、以前紹介した「子ども食堂」などはわかり易い事例だったと思います。

 

実際に、地域のコミュニケーションは「コミュニティ」という言われ方で少しづつ根付いていますが、そのコミュニティを結構生活の中で頼りにする人が少なくないのも事実で、上の事例のように深刻な問題の相談の場にも利用されるほどです。

ただ、その普及はまだまだ充分ではなく、地域で深刻な問題が問題が起きて始めて動くといった状態で、加えて地域ごとに住民の参加意識も薄いようで、まだまだ生活にゆとりが無く食い扶持を稼ぐのに精一杯で、職場と自宅の往復の毎日で住む地域どころか隣の様子さえ気にするゆとりの無い人も少なく無いようです。

 

かつてのように、地域での町内会・集会所が活かされにくく、若い世代になる程その本来の目的より義務という意識が強く参加意識が薄いのが現状ですが、地域での事件性が目立ってきた昨今、さらにその重要性は高まります。

その解決には、要望は集会所のような特別な場所でなくとも、上事例のような気軽な場所での会話の中で、自然発生した関心の高いもの同士が集まる小さなコミュニティ機能するのは、自然の流れかもしれません。

 

今は縦社会の障壁が少しずつ減って、その分横社会で特徴的な小さなコミュニティが次々に生まれていて、きっかけはたまたま飲みにいっているバーや行きつけのレストラン、習い事に言っているのかスクールであったり、その場所は様々であり要は隣の人と気軽に話せる場所であれば、何処でも成立しているということです。

そのキッカケさえあれば、あとは趣味の合う人の誰かが、テーマをもちこんで勉強会なり問題の討議であったり自由闊達なコミュニケーションがとれるなら、場所にこだわる必要ななくこだわるとすれば、ネットの様な顔の見えない場所という点が重要なのではないでしょうか。

 

わざわざ特別な集会所でなくとも、むしろ積極的に参加できて抜けることも簡単で、かたぐるしい集会と違う個人の時間を犠牲にしなくても済む手軽さに注目しているところが、今後も伸びていく秘訣でしょう。

最近問題化されやすい「子ども安全」「女性扱い」などは、より身近な場所がふさわしく、ママがよく集まるカフェやスクールなどで、企画者さえ出てくれば簡単にコミュニティが成立かつ、複数のコミュニティに参加にも不都合が無いという自由さが普及のポイントですが、単なる炉端会議会議とは、共通の課題をテーマとし参加意識と責任感を持った姿勢が最大の違いで、その一線を引けなければネットの書き込みと同じなので、ネットとの意識の使い分けを要領よく変えることも大事でしょう。