くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

暮らしに必要なエネルギー、地域ごとに作り出す取組み

 東北の原発事故から8年に至って、国内発電の主力を見直す動きが現実的に経済効率の理由で、本来日本にもっとも向いた発電方法を、民主主義的に決められていない実情は、改善される目処が立っていません。

 原発事業に戦後も地道を上げてきた国が、経済成長性維持を理由に、原発廃止に踏み切れないのは、そもそも自明の理かもしれませんが、何度も各地域で起きた発電所周辺地域に住まう人々の危険リスクは、問題視されにくくなっています。

 

www.asahi.com

愛知)「エネルギーの地産地消」試行中 豊田・大野瀬:朝日新聞デジタル

 

 一方で、すでに国や電力関連に携わる関係者には、廃止に都合が悪くなる者もいて、合理的な廃止議論は難しいとの意見が、どうしてもまかり通る以上は、健全な国民優先のエネルギー開発は困難です。

疲弊する地域の職場環境には、少なからず安定した職場を提供する意味で、地域経済に貢献している面は、地域住民の生活安定を理由にされやすく、むしろそれをメリットにされやすい傾向はあるものの、地域全体の成果となっていないために、地域で意見の相違が生まれるなどの、むしろ地域分断につながっているのではないでしょうか。

 

今春の統一地方選の行方に、大阪地区の結果がもたらしたものは、地方経済圏の統合の行方に、大きな波紋を広げるものでしたが、この地域は関西電力のテリトリーであり、原発廃止においても物議を醸し出した地域でもありました。

最大の実害を被った東北に限らず、この大大阪でも愛媛県でも東海でも原発継続を優先される流れが変わらないのは、原発が最良の手段ではないという再認識を、私たちは将来に向けて見直すべきではないでしょうか。

 

直接でも間接でも、エネルギー意外の原発の恩恵を受ける者とそうでない者との意識差はあるにしても、危険リスクが避けられないとわかった原発からの脱却に取り組む姿勢と、経済力の再生に原発にこだわらなければならない姿勢とは、必ず同義ではないはずで、むしろ最大公約数では廃止の目処がつかないのは不自然と考えます。

国が地域ごとのエネルギー事情を裁量出来ない以上、すでにその選択は国への忖度をやめて地域裁量で決定実行する段階に入ってないでしょうか。

 

それがたとえ小規模な発電技術であっても、可動させ恩恵を受けていく姿勢から積極的に実行するのは、リスクばかりを恐れ国家予算を宛てにするばかりの慣習から一歩踏み出す地域の決意のように見えます。

前にも書いたふるさと納税の地方と国の攻防にもあったようにまた、地域への選挙権の効果についても大いに議論されるのと同じように、地域のエネルギー開発も論議されるべきで、国の事情で大型の予算を回せない現状はもっと表面化されなければなりませんし、そのきっかけは地域行政の意識から国へ訴えられるべきものです。