くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

内なる革命を起こす、若い世代のメッセージ

先月で、東北震災・津波被害から8年を経過して、相変わらず東北地域でのまちおこしの闘いは継続中の段階ですが、特に次の時代を担う若者たちにとって深刻な町作りへの挑戦は、本来私たちが助けるはずが励ましてもらう存在になっています。

その取り組みは斬新なものも多くて、この想いに賛同した多くの人知恵をあつめる効果も大きいようで、個人の才能を見出そうと現地に住んで可能性を広げるものや、有名なブレーンが敢えてこの新興市場を生かそうとチャレンジする姿が、多くの人可能性を広げる土台になって、既存の慣習や市場が完成してしまっている他の地域では決してできない多くの可能性が磨かれているように映ります。

 

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革命ですよ|TRITON PROJECT - YouTube

 

まだまだ未完成な復興は、現地の人々を楽にしてくれていませんが、すでに8年が経って助ける助けられる関係は、次の段階に移らなければならない時期にきていますが、そのキーワードにになるものは世界規模の市場に対しての闘いの準備であり、それに備えた協力の絆でなければならないでしょう。 

私たちにとって、東北で生まれた「絆」はどのようにして成果をあげ、成長させていくかは、多くの人特に若者にとって重要な手段として、都市部での夢実現が昔より困難な時代に、東北に光る若者たちの笑顔と、その裏で日常茶飯事に起こる苦悩から得られる様々なヒントは、今後どのように生かされていかなければならないのでしょうか。

 

動画で彼らは笑顔を向けてくれますが、それ以外の見えていないところでは今全国の若者の多くがぶち当たる難問・苦悶を背負っている点では、同じ立場であることは変わりなく、その課題に何らかの行動しているかしていないかの差は、これからますます開いて行きます。

彼らの動画は今後も残って行き、行動できない・しない若者へ、同じ笑顔を見せて行きますが、動画の彼らが数年後数十年後には胸を張って行動したことを誇らしげにする姿が浮かんできます。

 

経済的に、または境遇がネックで行動すらできない人も少なく無いかもしれませんが、できるのに行動しないのには様々な厚遇の中で、自分の可能性を見失っているのかもしれません。

これは本来なら動画の彼らから見て優位性でしか無いはずのものが、いかせていない事を意味しますが、動画の彼らの笑顔の裏にどれだけの努力があるかを、若い頭で様々想像してみれば、多くの人が抱える問題が意外と自分が単に行動しないだけのことだと気づくかもしれません。

 

時代が急激に国際化によって、若い人から見も知らぬ環境に放り投げられるような時に、親から教わったのは国内で生き抜くだけの方法で、世界に巣立つ戸惑いはあるかもしれませんが、昨今海外へ出て行こうとする人が若い世代ほど多くなる傾向は、それを裏付けているのでしょうか。

今は高齢化するほど仕事への意欲が旺盛な人が増えている印象がありますが、本来その貪欲さが若い人にあってしかるべきで、持て余した気力がどこへ向かっているかと心をもんでしまうのは、筆者だけではないでしょう。

 

情報乱立の時代に生まれ育った若い雛たちは、余りあるノイズへの対応も慣れたものかと思えば、過敏・繊細になりすぎて考えが先に進みすぎて行動にまで及ばなくなっているのかもしれませんが、東北でリアルな被害にあって這い上がろうととあがいていた人の子供たちは、奇しくも戦後高度成長期のどさくさと同じ混乱を経て、人本来の能力が健全化したのかもしれません。

このことからも、私たちが願い目指した安定した社会が思いの外人の成長にとっては、リスキーだったのは反省しておくべきかもしれませんし、もっと平和な時代の使い道が在ったのかもしれません。

 

今行動する若い世代の人々にとって、その反省すべき様々な課題は頭の中にこそあっても、行動しない理由にしないですし、むしろバネにしている様にさえ見えますが、そうした時代有無にかかわらず行動する人はしますし、しない人はしないでしょう。

ただ、これらのタラレバはあくまでタラレバであって、現実ではなく人のネガティブシンキングの産物でしか無い事を忘れてはなりませんし、行動する人を見て思い知らされるのは、人が向上するのに世相が悪い・今の環境は最悪とか、チャンスが無いと言うかタラレバに苛まれている間は、行動する人々の笑顔は「絵に描いた餅」でしか無いということです。

 

それが、たとえ些細な行動であったとしても、人はその中に充実感を味わっている限り、モチベーションは続けることができる生き物ですから、その実感を一回でも経験した人ならわかる当たり前の事を、体験すらしないとすればそれこそが若い頃の時間の浪費でしかありません。

資本や境遇に恵まれている人ならその厚遇を活かし、そうで無い人はその分を補いながら小さな満足感から育てていけばよいだけのことで、境遇の悪さに嘆く姿に同情は出来ても、その夢の領域はその人だけのものである以上、助けることは不可能です。

 

あなたが行動することで、初めて人はそれを知り手を差し伸べ、一緒に笑ってくれるのです。

 

これは決して無理してでも達成しろと言う強制では無くて、自発的に起こるはずの行動を自身のメンタルで、スポイルする習慣をなくすきっかけの話であり、本来若さはその思考の回転の速さと、有り余る体力を活かしてこそできる、可能性の拡大が魅力なはずです。 

その一生のうちの貴重な体験を理解する上で、東北の人々の笑顔が大きな支えになって、その支えが東北の人だけでなく、世界の困難の支えになるような行動ができれば、より良いことは言うまでもありませんが、自分を信じて大事にする強い思いを持ち続けて欲しいと願っています。