くろま流 × NAGOYA式 ブログ

地域産業・観光を広い目線から、東海・名古屋あるあるをリサーチ。

原発被害後8年経てばのど元を過ぎる今と、その将来の姿

原子力発電による電力供給の是非は、賛否両論ありますが、筆者は一貫して廃止のスタンスを通していて、賛成派の様々な反論に対してもそれなりに答える意見がありますし、廃止しても日本人はまっとうに生活していけると考えています。

原発は合理的に考えて日本の環境にはリスクが高いと、多くの人が気づいたにもかかわらず廃止どころか、補助してまで存続させようとするのは、運用を継続させないと都合が悪い人が多いだけでなく、影響力を持つ人の都合で決まりやすい現実がある事を、知った上で行動する必要があります。

 

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正気かと思う今さら原発支援

 

東北の被害にかかわらずそのほか地域で起こった震災でも、その周辺に存在する原発の存在そのもののリスク発生を、特殊な法人の事情を理由に電力会社側の自己都合で存続を決定したり、地方では加えて原発関連で賄われる産業の維持が加わって、単に廃止に意見が行かない流れで国内全体の原発リスクを軽視する傾向は無くなりません。

たしかに、同じ住民として「仕事がなくなると生活に困る」という現実は共感せざるを得ませんが、その彼らにとっても原発が起因する危険性や、地域の風評被害のリスクは避けられないのも事実です。

 

一方で、同じ原子力関連エネルギーでは「核融合」という選択肢があって、ある地域にその開発施設が存在していますが、その周辺地域に住む住人にもリスクを恐れ継続中止や施設移転希望の声が止むことはありませんでした。

ただこの意見を集める上では、純粋な意見確認というよりも、収集側が意図したのは本来の代替エネルギー案としてのそれでなく、むしろ原発存続の補強とする意向が強かったように思います。

 

単に狭義の意味で核分裂発電の現実性を強調し、核融合発電の難易度を理由に先延ばしする意見を広め、広い意味でのエネルギー開発の将来性を全うに考える機会を狭めようとしていないか、という点を問題視するところに意味があります。

 原発の是非を考えるに当たって、単に原発継続・廃止だけに注目するのでなく、日本にとってどのエネルギー開発が妥当なのか、その未来軸に沿って集中協議すべき課題に、現実的な目先の利害が先走りするシーンばかりメディアで強調され、本筋に立つことすら難しくなっています。

 

これからの日本の未来を担う、若い世代の方には特にこの現状を踏まえた上で、根っこから掘り下げた解決方法や問題のすり替えにブレない姿勢で、この問題に取り組んで欲しいと願わずにはおれません。

おそらく(あくまで筆者の推測)今の子供は私たち以上に義務教育の段階から「現状を標準」としたものの考え方を教えられていると思いますが、そもそも相対的に考えるべきものでなく、原点から調べ考えて解決すべき問題なので、今が便利だから改悪したくないとか、大人が作った問題の尻拭いは嫌だ、などの若者のホンネは一見最もですが、国民が国に誘導されている限り国民の生活は向上しない事実から見直していくスタンスを作るのが早道です。

 

原発存続の現実は、国内事情と海外国の事情と比較して考えると、中国は人口や土地面積の比が異なるので除外して、日本ほど原発依存が大きい国は無い事実を、今の生活利便性と天秤にかけてどう判断するでしょうか?

この回答に「便利だからその事実は、大して問題ない」と思うのであれば、それまでのことですが、なぜ日本より国土が広く電力事情が切迫するはずの他国が、原発から離れているのか、その事実を元に存続の是非を考えるべきではないですか。

 

原発存続の賛成・肯定派は、

「日本はエネルギー資源が乏しいから」

「安く安全に電気エネルギー供給できるから」

「今更原発抜きには、日本経済は成り立たないから」

……

 これらは、耳にタコができるほど言い含められてきましたが、少し聴き方を変えてみると全て、提供側に都合が良いという一言でまとまってしまうのも興味深いですが、これらのもっともらしい意見が、安心材料に使われているのは日本だけでしょう。

開発側からすれば、戦後苦渋を舐めながら日本の優位性をなんとか実現したい、その一心で成し遂げた「原発技術」「医療技術」、造船など「生産システム」は、間違いなく日本の誇りであり叡智の結集です。

 

その栄光から離れられない人が居て当然でしょうが、その技術開発には多くの国民の犠牲があってなし得たものであり、誇って良い部分と反省すべき部分両方あることを国民全てが知っておく必要があります。

過ぎた今思い起こせば、これらの技術はおそらく日本人がもっとも得意とするものだったんでしょうし、得意分野で結果を残せたのは幸いだったと思いますし、事実筆者もその恩恵にあずかっています。

 

だからといってその恩恵技術の全てを、次の世代がまるまる引き継ぐ謂れはないですし、人間はカイゼンを怠れば進歩がないことも、輸出大国日本が戦後学んだ大きな知恵なのも確かなことです。

辛酸をなめてここまでその資産を育て上げた人々が、短絡的にその成果を全否定される今に、憤る結果原発廃止が進まないのかもしれませんし、もしそうなら後続の私たちが偉そうなことを言えないかもしれませんが、良くも悪くも過去の日本を引き継ぐのは、過去を作った者でなく未来に生きる者である現実から目を伏せていないでしょうか。

 

理想的に良いものだけを引き継ぐことは、現実的には困難が伴うかもしれませんが、未来に生きる人々に向かって理想を妨害するのは、少し違う気がします。

ただ、過去全てを認めさせようと力を振るうのならば、その時は彼らはバカではありませんから、反抗という形か衰退という形かはこれから次第ですが、大きなしっぺ返しがあるのは避けられません。