くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

枠にこだわらない「世界にひとつの花」への道

もうだいぶん前になるのですね、2003年に発売されたSMAPのこの曲は、今でも多くのコミュニティで合唱され、日本の「絆」意識とともに平成の時代を乗り越える合言葉のように繰り返されてきましたし、今東京オリンピックに向けスポーツによる絆の話題や才能への関心が高まっていて、自然災害などの暗い空気を前向きに捉えるとても良い傾向です。

それを糧に、少子化で個々の人材価値が見直される時代を、個人の価値や可能性を今後一人一人がどのように考え答えを出していくのか、日本国内の本格的な就活解禁で、企業や就活を迎える人たちは優位性をどう発揮するのでしょうか?

 

 

日本の政府は、私たちの収穫とは別にして国の豊かさを担保しようと、国の裁量で資産運用を続けていますが、その成果が国民全体に行き渡る日がまだまだ先であることをこの記事は伝えています。

その資金は、国民の預けている預貯金も含まれますが、その報酬はプラスでもマイナスでもまず大得意様の企業に優先的に与えられるものですから、その末端の資金提供者は、後回しか回ってこないかもしれませんね。

 

gendai.ismedia.jp

日本人は知らない…国民が働かなくても「豊かに暮らせる国」の正体(岡村 聡) | マネー現代 | 講談社(1/3)

 

 それでも、企業は成長のために多額の投資をし、会社を機能させるのに不可避な優秀な人材を求めリクルーティングに力を入れていますが、被雇用者側有利と言われる雇用市場では、その意図に反して企業としての合理化だけでは、その才能を確保できなくなっているのは、皮肉な現実です。

 

こうした現状の中で、就活で少しでも優位に立とうと策を錬る若者に、根本的な落とし穴があることを忘れてはならないとおもうのです。

先に説明した通り、企業に勤める前提で企業の一部としてその才能を発揮しようとするのは、それぞれの個性をベースにした成長では無くて、企業の方針に従う前提でのそれであるという事実をどう考えるかにかかっています。

 

その雇用の範疇では、花は花として成長することはほぼ絶望的であり、中には一旦入って実績を積んで独立を試みる人もいるでしょうが、それをやすやすと認める企業は圧倒的に少ないでしょう。

究極で言えば、企業が持つ市場を利用する時点で、独立していても企業の一要員でああり、世界に一つの花ではないということですが、この認識をわかっていて多くの人大人や人生の先輩は、それに甘んじる道を勧めてくるのです。

 

若者の将来を案じる者ほどそのバイアスは「良かれ」という理由によって、可能性を

摘みに出てくることが当たり前のようにおきます。

少ないとは言え、子供に旅をさせようとする立派な親もいますが、その経験を踏んでいない多くの親なら致し方ないしれませんが、そのリスクと選択は例え未熟な雛鳥であっても自己責任で選択するしか無いでしょう。

 

「青年よ、大志を抱け」

 

という掛け替えのない可能性は、すでに形だけのものになって久しいですが、親離れ出来無い子供だけでなく、子離れでき無い親や大人がリスクを避けて今の日本を作ってしまった以上、ここであえて言うまでもなく「世界に一つだけの花」が、そう遠く無いうちに形だけのものになら無いことを願って止みません。

 

世界では、日本に住んでいただけでは想像すらでき無い事が次から次へと起きていて、その事実は国内でごく一部しか知られていないのが、どうやら本当のようです。

 

その事実をどれだけ受け入れる覚悟と好奇心があるかは人それぞれでしょうが、私たち大人を含めてこの世界の波の先に、どれ程の可能性を見いだせるかと言う観点で、就活を楽しんでほしいと思うのです。

 

日本に一つの花になることも、とても有意義なものです。

しかし、若いうちからリスクを取った分、世界に一つの花を咲かせられることも、忘れ無いでください。