くろま流 × NAGOYA式 ブログ

地域産業・観光を広い目線から、東海・名古屋あるあるをリサーチ。

日本が「原発」手段を捨てられない、見解の相違と国民性

原発利用の是非や可能性に関する経団連内での進展について、下の記事を見たのですが、未だに企業側の意志は原発活用のメリットにしがみついて、消費者側の反応をかわそうとする動きに変わりなさそうで、残念です。

景気上向く中での公開討論の機会は、悪影響にしかならないという業界都合を優先させる姿勢は、裏を返せば消費者に被ってくるのを嫌って静観するだろうという判断から、電力の安定供給や安全性を欠いた原発ビジネス維持とのコスパ比較し、優位性を確信しているのかもしれません。

 

toyokeizai.net

経団連会長の「原発巡る公開討論」早くも腰砕け | 原発再稼働の是非 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

私たちの生活に不可欠な電力を得る手段として、国内では「原発」がシェアトップとなっている中で、日本政府は原発システムをビジネスとして捉えています。

世界が原発炉廃止の方向に進む中、日本もそれに習う姿勢を見せながらもその主要な代替策を見いだせていませんが、その解決策を模索する中で保守傾向や社会問題の傾向が日本と似た点が多いと思われるEUドイツの事例で、なぜ日本にとって悲劇の技術「核分裂」発電を捨てられないのか? 考えましょう。

 

gendai.ismedia.jp

電気代EU第1位…!ドイツの「エネルギー転換」こんなに矛盾だらけ(川口 マーン 惠美) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

 

ドイツでの原発廃止の試みの現状は紹介記事を参照いただくとして、こうした自ら血しぶきをあげさまざまな矛盾を抱えながら、それでも代替手段への転換を実行しつつある一方で、日本はEUのような公的縛りも無い立場でもあるためか、口では言いながらも実行が伴わないのが現状のようです。

もちろん、どの国でもいきなり転換をすることなどできず、計画的に徐々に転換すべきなのは間違い無いのですが、国内の研究開発で「核融合炉」のそれは、「もんじゅ」で進められた使用核燃料の再利用技術とともに古くから進められていて、技術的には実現可能に近ずいていてかつ、その燃料となる重水素の調達も国土周辺にある海水から抽出する技術が確立していると言われているにもかかわらず、廃炉に追い込まれるもんじゅという「同期」の技術に対し、予算でも一向に研究の域を超えていない現実を見るに、ドイツの主力発電転換への積極性と比べて消極的としか言えない状態です。

 

その遅々として進まない次世代発電の転換と実現が国内で進まない原因はなんなのでしょうか?そのもっとも致命的な原因とは、以外に国民性に潜む気質にあるように見えます。

核融合炉による日本の優位性は、実現に向かえば世界へのインパクトは想像を絶することになる上に、忖度するアメリカへの不遜を意味するものとして、自粛しているのではないか、という疑問符です。

 

これまでの戦後からの日本の歩むスタンスを紐解くにつき、GHQ政策の影響もあってか日本の発展と歩みは、戦勝国アメリカの歩みを模倣してきた経緯がありますが、こと国の発展を左右する「発電」に関して、唯一の「核被災国」日本が核分裂炉のもっとも遠い存在であるはずなのに、歩んだ現実は逆でした。

今では消極的になるアメリカより先陣を切るかのように「核分裂炉」の開発・普及を進め、そのコスパの魔力から自らを貶めてしまったと同時に、莫大な利権構造もからんで抜けるに抜けなくなってる現実があるのは周知の通りでしょう。

 

この致命的な事実が、国内では触れてはならない空気を作り出しているし、東北大震災・大津波でが招いた放射能汚染という、原発リスクに決定的なダメ押しがされながらも、廃炉に至らせられない現実を完全できない国民性と本音との矛盾によって、世界も理解できないような、原発問題の現実を捻じ曲げながら、代替エネルギー問題を独り抱えて迷走していくのでしょうか。

ドイツは日本人と同じような社会問題を抱えながらも、その一つ一つを堅実に解決する努力を諦めずに、国民がそれによって被るリスクを享受し、政府も不安定な中でさえ応える努力を続けていますが、日本の政府と国民はどうでしょう? リスクから目を背け突破口への第一歩さえ踏み出せずに居るのは、だれのせいなんでしょうか?

 

その答えは、言うまでもなく「原発の道は、仕方がなかった」と自らを偽ってきた、私たちの中にあるのではないでしょうか?

今の大人が足踏みしている間も、子供達の貴重な未来への時は進み、判断に必要な時間を一秒一秒と確実に浪費している責任は、少なくとも子供にあるのでは無いことは間違いありません。