くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

1個目。原発事業に「こだわる」日本、エネルギー問題「断捨離」の時は来る?

 このブログでは、筆者の私見として原発によるエネルギー利用の提言と関連事業の転換を願ってきた立場ですが、日本政府は未だ基幹事業として海外に売り込みを弱めるに至っていませんが、この方向性には賛否両論あることを承知の上で記事ると、やはり大きなリスクとして地震大国の日本には向かなかったと考えています。

しつこい筆者はそれをも意識せず、2回にわたってこの乗り越えるべき課題について書いていこうと思いまが、今回はその1回目。

 

 さて現状は、原発事業は下記記事のような事例がで出だしているものの、海外でも例えばドイツのように他の発電へ転換後の事業失敗例や、急拡大するビジネス需要に対応できる電力量の確保で原発以外の選択肢を持たないなどの意見が標準とされ、原発施設撤廃の動きは消極的です。

 

www.technologyreview.jp

加速する「原発離れ」、中国がとどめを刺す可能性

 

そもそも米ソ冷戦時代に急速に拡散した、核兵器配備がきっかけでその情報統制の一角として「核の平和利用」をうたった結果の産物であった歴史的事実を、わたしたちは無視してはならないと考えます。

さらにその平和利用のはずの原発は、 チェルノブイリ原発事故など今も記憶に残る大惨事や、日本は原爆の被災国に加え東北大震災で追い討ちをかけられた立場です。

21世紀 核時代 負の遺産

 

その歴史的事実を背負った日本が、核燃料を武器に原発システムの拡散を担っているのは国内は基より海外でも、奇異に取られ日本の信用性に疑問を持たれる要因になっています。

こうした業界に働く人々は想像以上に多く、それに関わる政治家や企業幹部だけに止まらない「核・発電ビジネス」の必要性は、すぐには転換が困難なのは考慮しなければならないにしても、長い目で見て日本に住む多くの人々ににとって優良な収入源では無いように思います。

 

うがった見方をすれば、核による被害を受けたその分を核によって元を取り返そうと躍起になっている現れとも見れる国の行動と、一方で核への精神的な柵によって過剰な平和へのこだわりに走る国民相まって、出口の見えない迷走をこれからもつづけていくのでしょうか?

結局は、グローバル時代に対応するノルマを抱え乗り切るのに必要な電力エネルギーを代替えする手段が現れるまで待つ姿勢を続けていくのでしょうか? 

 

日本人がクリアしなければならないのは、技術的なハードルよりも高い「精神面」に代表される、現れることが無いであろう“確実性”なる幻からの脱脚こそ全てのような気がしてなりません。

この転機が訪れたのちには、技術面では他に類を見ないこの国は、意図も簡単にそのエネルギー問題をクリアできると信じて疑わないのは、筆者だけでは無くもっと多くの方が居と思うのですが……それを証明するためには、まずは一つのハードルを超えることから始めるしかないですが、それが果たして実現できるかどうか、その答えは2回目に出せるかどうか、乞うご期待ください。