くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

今更と言うなかれ、週末に学び直したい「原爆神話」

わたしたち日本人にとっての、この表題の意味はくどいと言われようが繰り返さなければならない、とっても深ーい課題です。

この課題は、7年前にもなる被害を受けた東北沖大震災・津波災害においてもほぼ同様の意味を持っていて、これらの被災には当時のアメリカ合衆国における、罪の意識を偏らせる働きがあったことを意味していると、解釈できます。

 

www.huffingtonpost.jp

世界最大・最悪の嘘「原爆神話」 NYタイムズ記者とハーヴァード学長が生み出したものだった。 | HuffPost Japan

 

いまだにアメリカと日本では、根本的な解釈が異なることは以前から指摘されてきたことですが、このギャップが広島・長崎両被災者たちの平和への訴えを、ここまで長引かせた事実を生んでしまっていることからも、私たちはうったえ方を見直す必要があるのかもしれません。

また、東北大震災・大津波原発崩壊によってうけた放射能二次災害においても、自然災害と定義された以上、日本での内輪話で済んでしまっています。

 

いずれの惨事とも、核兵器の元になる核の軍事利用と同時に、彼らが大量保有していた核燃料の効率的な利益拡大という、最優先された当時の資本大国の方針によるものだと考えられ、日米双方の言いたくもない利権保証が前提にあったことは、単に平和への弊害だけで問題化するには、かなり目線不足と考えられます。

 

これらの大義についてはあまりにも裾野が広く、膨大な検証が必要なためこの回では一例として筆者が今回の記事で取り上げておきたいのは、上記事引用の次の下りでについて取り上げます。

 ハーヴァード学長となり原爆開発の統括責任者を務めたコナントは、若いころは毒ガスの開発と大量生産の第一人者でした。学長としてホワイトハウスの戦時内閣入りし、アメリカ人の原爆理解(例えば「原爆は命を救った」)の決め手となった情報操作を自ら企て、神話を確立させました。さらに、人口密集地を原爆の標的としたのは、彼の提唱によるものです。 

 

 情報操作に関わったとされる2名のうち、メディア記者(個人特定には及ばず)の関与は以前からも指摘されていましたが、元毒ガス開発者の大学学長が関与したとされる点は、事実とすればさらに問題を複雑にし、他の歴史にも大きく影響を及ぼすもです。

指摘したいのは、権威による情報の信用性を高めたところでは無く、その権威は第二次大戦時に毒ガス開発の第一人者だった点にあって、これは当時毒ガスと核兵器の開発が、アメリカに無かったナチスドイツの最先端テクノロジーであり、当時噂されたとする米「ペーパークリップ作戦」による、ナチス技術者の大量引込みにつながってきます。

 

当時の連合国が戦争にピリオドを打つ手段を模索している中で、当時のアメリカは仕入れた技術で毒ガスや核兵器の実行を試用・実施したと推測され、実際核兵器においては日本で使用された経緯がたとえ試作物とは言え、いやむしろ試作の実験に投入したという事実があったことに驚かされますが、この事実からアメリカが連合国の中でも優位性を主張した結果、多くの人々が目を背け正当化する今があるわけです。

 

被災国日本としてはまさに、

「なんじゃ、そりゃー!!!」

と憤らざるを得ない、ネタのオンパレードでしょう。

 

さて毒ガスについても、時期的に開発者がアウシュビッツ大虐殺の時期を待たず大方引き抜かれていてかつ、技術引継ぎ後のアメリカでさえ毒ガス兵器の完成・実践投入されなかったことからも、大虐殺時の実践投入そのもさえ怪しく思えるという尾ひれがつき、そうならばそれを邪推したくなるのは筆者だけではないでしょう。

 

あくまでこの記事が事実であるとする前提での推測と帰結なので、都市伝説レベルの話とされても反論するものではありませんし、実際に検証できるほどのネットワークも実現不可能な一個人の情報に過ぎません。

しかし、たとえこの思考の試みがトライアンドエラーに終わっても、歴史を学び・歴史をこよなく愛する人には御存知の通り、新しい事実の検証を権威に恐れず実行する大切さは、あせることのない事実という点です。

 

ここ戦後70年を経ただけでも、私たちが学校で学んだ歴史が塗り替えられていて、

例えば、日本太古の歴史でも「聖徳太子」ネタなどが有名ですが、直近の近代世界史なら尚さらで、多くの人が新事実に驚かされますが、それ故に私たちは大人になってからも、情報の棚卸は生きている以上続くということですし、グローバル化する世界情勢では特に大きく影響してきます。

 

これは、歴史が起こった後どれ程の時間が経っていようと、

 

後からでも判明する事実が、鮮やかに定説を覆すシーンや、

もしくは、旧説の矛盾が修正されるシーンに、

 

何度でも出くわすことがあるという現実として、私たちは「証拠を示せ」と要求する理不尽の前に、ゴールである指針としての合理的な指針を示すための、トライアンドエラーを自信を持って行うことは、とても大事だと思っています。

 

歴史は私たちに、時には事実を知らせ、時には時代勢力の誇示に利用されますが、その歴史の断片を単体で理解するのではなく、首飾りのように流れでつないだり、シルク生地のように繊細にタテヨコに紡ぐことで、また新しい事実として宝石のような輝きのある情報の価値を生めるのです。

 

記録さえ残っていれば、永遠に事実の歴史は残るもの。

であり、

それを掘り出して、論理的に組み立て、後世に引き継ぐことは、

人である以上試練であり挑戦であり続けなければなりません。

 

その点で忘れてはならないことは、

「公的記録・文章を正確に残す」

今の日本はそれさえ正くできていないのが残念ですが、後世に宝となる「公文書」さえありのままに残せないのなら、決して認められない大きな問題です。

 

最後に、こうした災害の事実を絶やさず引き継ごうとされている多くの方々へ、そのご苦労をねぎらうとともに、宝として引き継げれるできる限り正確な事実の重要性を再認識し、希望やモチベーションにつなげていただければ幸いです。