くろま流 × NAGOYA式 ブログ

地域産業・観光を広い目線から、東海・名古屋あるあるをリサーチ。

日本の都市ランキング発表で思う、情報の真贋と期待

わが名古屋は4位、同じ愛知県では豊田市14位でランクインしています。

また東海4県でおとなり岐阜市28位、静岡県浜松市10位、静岡市15位で名を連ねます。

評価基準や評価した人の専門性や妥当性、何より評価する意図や目的によると思いますが、30位まででも全国人口密度に合わせまんべんなくランクされている印象はありますね。

これで少しは名古屋市民の地元評価が変わってくれればと思います。

 

www.fnn.jp

“都市力ランキング”トップは京都市 格差ハッキリ!“ランク外”都市はどうする? - FNN.jpプライムオンライン

 

 住みよさでトップの地元長久手市などが無いことを見ると、人口密度あたりの評価の高さが見られているようなので、東京は別格で抜いてありますが、やはり都道府県庁所在地が中心になっています。

こうした評価ランキングを見るに、名古屋のような中間都市の中途半端な立ち位置は、その実態を素直に反映させているのでしょう。

 

ランキング投票を記事にする場合は、国などの自治体や調査機関で企業資本の影響を受けにくいものをのぞいては、なんらかのバイアス(偏り)が出て当然であり、むしろその多くが広告的な要素を期待して出されるものが多いと考えてちょうど良いと考えられます。

ただ、バイアスの少ない統計の把握は一般の人には面倒で敷居が高いと感じられたり、親近感が湧きにくいものでこの点は企業が実施し公表するものが、見た目もわかりやすく親しみやすいので、参考にされやすいのはやむを得ないでしょう。

 

筆者は、だからと言って正確な統計だけしか信用しないと言っているのではなくて、経済効果や見えない期待感も統計に反映されて良いと考えますので、実質的には親しみやすいことが、ランキング情報にはとても大切だと考えます。

比較する際に大事なのは、数的に表される絶対的な情報が不可欠なのは変わりませんが、一方でその情報をつかった心情的で一見では曖昧な統計情報は、さらに重要と言えるのではないでしょうか?

 

その実力の片鱗は、すでにAIが繰り出す判断材料に現れだしていて、AIが表現する統計結果は、初見は「関連性が理解できない」ものですが、それらを追っていくことで、深くて思慮深い根拠が浮かび上がってくることに驚ききます。

この体験はAIが注目されてから得られた未知の体験だったわけですが、実は元からあって人が推量していたものではあっても、数値的に証明が難しかったので切り捨てられていたものだったわけです。

 

そもそもAIが現状で実施する統計情報は、人の思考を数値化するために行われていて、今のところは世間で恐れられているようなものではなく、AIの行動は人の知覚の及ばない範囲を超えることは無いようです。

 

その根幹的根拠にはAIも学習に必要な「時間」は避けて通れない現実があります。

 

「シンギュラリティ」と言われる人とAIの知力ランクの変換点は、彼らが自分自身の言葉と思考パターンを得られるまでは、起きることは無いはずですし、人がその領域に達するまでには数万年というとても長い時間を要したことからも、AIがそれを達成するまでには流石に数年で達成すると言われる短時間での転換は、起こらないと筆者は見ています。

 

そもそもそこまで独自性を持つまでの情報量は、今の世の中に存在しませんし人だけが作ってきた歴史なのですから、新たな歴史を根拠とする創造性を確保するにはそれなりの時間が必要ですから「転換点」の解釈にもよりますが、上で言ったような根拠であればそうなるでしょう。

話がAIに偏りましたが、AIの例ような情報の一人歩きが起こるのを人は最も恐るために、その情報一人歩きを意図的に行われないかを気をつけていれば、情報に騙されることはありませんし、むしろ楽しんで良いのだとさえ思うのです。

 

ただし、ここで誤解のないようにしたいのは、私たちが得た情報は必ず繋げて解釈するという絶対的なルールを守っているという自覚です。

世に出るより良い情報とは、公表された時点では真価を判断しにくいものですし、同じような情報を可能な限り時系列で追って、私たちが連続した物語のように意味付けることによって、初めて判断できる情報になるという約束事です。

 

人類は、今のところ有史上で地上初の歴史を作り上げた動物ということになりますので、情報の連結つまり歴史を記録してきたからこそ今の存在感を示せているわけで、それより歴史の長い生物が現れない限り、今のところ安泰なはずです。

特に日本人は「個々の能力」よりも「連携による効果」を重視する人間ですので、筆者としてはその歴史との長さと人の連携は、世界でも引けを取らない高い能力だと思っています。

 

この事実は力となっていて日本人としての優位性となり、対外的にも勝てなくとも「負けない」底堅さや信用に繋がっているものです。

その優位性のコスパをもっとも高い位置にするために、私たちは乱立する情報の中から「おトク情報」を引き出すスキルを共有していかなければならないでしょうから、逆に言えば筆者を含めて「情報発信をする側」には、情報の扱い方と発信の仕方には大きな責任と自負をもって行動しなくてはならないと考えます。

 

ただ、一方で「情報を享受する側」の倫理観と道徳観も見透かされているのであり、双方のバランスの取り方次第で、競争力をアップさせる日本の姿勢には今後もより一層期待していきたいです。