くろま流 × NAGOYA式 ブログ

地域産業・観光を広い目線から、東海・名古屋あるあるをリサーチ。

未来を生きることへの、こだわりと覚悟

日本では人生100年時代といわれるようになって、高齢化社会を前向きに捉えようとするメディアの動きを見る一方で、私たちは長生きする楽しみと同時に未だかつてない課題も持つようになります。

その最たるものとして今回の記事を基に書いていきたいと思います。

 

記事で紹介している科学者は、100歳を超え大往生された方のようですが、かれが選んだ人生の終わり方は、私たちに多くのことを考えさせてくれます。

人生の歩み方として子孫を作って継いで行く選択と、一生独身で人生のうちに花を咲かせる選択、またそのどちらをとるにしろより自分らしい人生を送ることに、100年という時間は有り余る人が多いと思いますが、そのひとつの人生の終わらせ方として、この科学者が選んだ道はある意味では科学者らしい画期的な選択なのかもしれません。

 

www.cnn.co.jp

CNN.co.jp : 104歳科学者、安楽死の願いかなえる 「喜びの歌」聴きながら

 

実際には100年人生などというフレーズは、多くの人の現実としてリアリティは少ないかもしれませんが、人により誤差はあるにしろ、その膨大な時間を楽しむモチベーションを持ち続けること自体が、負担に感じる人も少なくは無いのではないでしょうか。

例にもれず、筆者に取ってもある意味では楽しみではありますが、現実的にかかるコストと手間は大きな課題であり、健康にも気をつかったり時間を有効に使おうと工夫したりと、手放しで自由奔放というわけにもいかずに、模索を続ける日々ではありますが、人生がその人にとってどう充実しているかどうかは、人が判断するのではなくて、自分が責任を持つことあり、自分でけじめをつける勇気が必要な大事な人生イベントだということです。

 

ある人は華々しく自分に相応しい人生として、就活にあれこれ時間と手間をかけているし、またある人はそのきもそぞろに、今この瞬間で生きることに集中していたり、生きる意味を含めて千差万別なだけに、その人生の終わらせ方のスタンダードはありません。

とても月並みな結論になるかもしれませんが、自分に対しても家族に対しても、人生の終わらせ方には自分から積極的に終わらせる勇気と潔さがあれば、それは評価されるでしょう。

 

記事の老科学者が選んだ人生の終わらせ方が、良かったのかどうかを評価するのは、その本来の目的にとってはなんの意味も持ちません。

自分の人生は必然的に終わらせられた人は多分に幸運なのかもしれませんが、最後を選択できずに亡くなった方は不幸だという見方は、生き残った人の考えであり必ずしも不幸だと決めつけるのも、その判断をした人の人生に大きな影響を与えてしまうだけに、偶然が生む人生の最後がいつ来ても良いように、覚悟を持って生きたいと考える次第です。

 

今介護者不足と負担が大きな問題になっていますが、筆者の経験からしてもいかに家族の人生の終わらせ方について、迷われている人が多いことと思います。

大家族が当たり前だった今までのように、後継ぎが期待できない時代中それぞれの我が人生の終わらせ方は、多様化し複雑になっていて前例のない悩ましい課題に、それぞれが自分の人生を大局的に見つめる機会として、さまざまな考え方を共有し認める寛容さと覚悟が試されています。