くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

学校の価値や校則、そろそろ変えようじゃない。

こういった融通の効かなさは、どう理解したらいいのだろう。

 

昨年も今までの校則が、現代に様々な違和感を与える話題を何件か目にしましたが、今年も早速私立小学校の制服選定で、良かれ悪かれ話題になっている今の学校そのもののあり方が、多様性にマッチしなくなっているのは周知の通りです。

国際化が急速に進む今では、常識になりつつある様々な「多様性」、その意味を今真剣に掘り下げ視野を広げることは、かつてガラパゴス化した「井の中の蛙」的な国内の空気へのアンチテーゼとなるでしょう。

bunshun.jp

「茶髪がいると評判下がる」女子高生“黒染め強要”で学校側の言い分 | 文春オンライン

 

www.huffingtonpost.jp

生まれつき茶色い髪の黒染めを強要⇒海外メディアが続々「日本の厳しい校則」報道

 

www.houdoukyoku.jp

マニュアルだらけの日本人。フランス人女性が不思議に思うこと | ホウドウキョク

 

新しい世代にその悪しき伝統を引き継がせないためには、国内教育の 辞書とも言える「校則」の根本的見直しは最も急ぐべき課題です。

未だ「現状維持で良いと考える教育識者」が多勢なのか、旧態依然の戦後教育意識が主流なのか、今まで生きてきた人たちの教育常識が改善されない動きは、海外から見ても違和感を感じているようですね。

 

その旧態依然の教育環境で過ごした世代の筆者が見ても、明らかに違和感があるように、そろそろ多くの人がこの違和感を共有しだしているのでは無いでしょうか。

これは、たとえば道徳教育のような日本古来からある良き教育を変えようと進言しているので無く、

「明らかに時代にそぐわない」

「そもそも誤っている」

教育規則の改善を望むものであり、いいかげん一部の団体組織の保身を是とした教育の仕組みを改善を意味するものですし、これからの子ども達の立場に本当に立つ目線を、教育に携わる人々が持って行動できていれば、簡単に改善するものであるにもかかわらず、その不可欠な変化を不安視して手を出そうとしない関係者が、幅を利かせている現状を嘆くものでもあります。

 

日本の国民は海外に較べて保身的傾向は否定しませんが、その中でも根本解決は避けられず、そのスピードが世界のそれに追いついていないのは、どなたも感じているのが現状では無いでしょうか。

今貧困にあえぐ親御さんを中心に、子どもの将来を決定する資格と責任を持つ親権の影響力低下が、高まっているという心配を筆者は持っていて、本来全ての子どもが貧富や大人の影響力の無い平等な教育を実現するのが、国内教育の根本だと信じてきました。

 

その改善の基本とも言える、子どもたちに最も身近な「校則」は、彼らが将来世に羽ばたく行動の指針になる大切な“ルール”を形成するもののハズですが、今の校則や教育体制は変化をする事なく、今後も旧態依然の不自由極まりない後継を生み出していくつもりなのでしょうか?

未だ親権を持つ親御さんの目が行き届く内に、この悪しき流れを子どもの立場に立って変えていくには、今以上に厳しい教育への関心と評価を高めていってちょうどいいのではないかと感じずにはいられません。