くろま流 × NAGOYA式 ブログ

地域産業・観光を広い目線から、東海・名古屋あるあるをリサーチ。

特別版 PKO派遣は、日常的ボランティアでは無い

忘れもしない、この事件。

助けに行ったのに、殺される理不尽さは何度聞いても憤る。

 

今、隣国の驚異に警戒感が高まるなかで、長く続いている緊張感やいつ起こるか分からない不信感から、もう起こらないんじゃないか? と本気で思い出す人々も増えているんじゃないかと思える。

 

死んではならない貴重な人材も、戦闘が起これば誰かが死ぬ。

この当たり前の事実に日本のPKOを派遣した政府は、この悲劇によって何を改善したのでしょうか。

 

戦闘とは、極度に非日常的な出来事であり、日常的な感覚や法律では対処できない別世界の現実であり、この現実に柔軟に対処できない政府の対応力は、見殺しに等しい行為だったと反省し、非日常のための法修正を加えたのでしょうか。

 

gendai.ismedia.jp

なぜ日本人PKO隊員はカンボジアで殺されたか「23年目の真実」(旗手 啓介) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)

 

戦場へ丸腰で向かわせるなんて、政府関係者の平和ボケにもほどがある。

犠牲者が出たのは日本国内では無く、無法地帯と化した何でもありの戦場だったにもかかわらず、政府は短絡的に派遣部隊に対して、日本国内の法を遵守させ、当然のごとく犠牲者を生んだ。

 

この舞台を率いた隊長は、平和ボケと現地の現実との間で、どれ程に葛藤と苦しみを味わったか、日本法の遵守と隊員の安全確保の両立、これは子供が考えても不可能なのは自明の理。

いくら神に祈って奇跡を期待しようとも、どちらの戦闘員も死なない戦場などありえない、是非とも首相自ら戦場へ赴いてDEAD OR ALIVE待ったなしの現実を、噛み締めてもらいたいものだ。

 

そう、こんな犠牲は二度とあってはならない。

 

戦争が一般化した世界ならば、かつて七十年程前にあったように、〇〇のために命を犠牲にするのもやむを得ないかもしれないけれど、殆どの国々が平和が日常的であり、その中で戦争はビジネス化さえされている今において、仕事として向かう戦場の中で丸腰が原因で死ぬ、などという笑えない事実は、どうそしゃくしてもまともじゃないですよ。

 

大きな戦争で大きな犠牲を払ったから、戦場でも人を殺さない。

 

一見美談で、政府の対外的なスタンスとしては満足度は高いのでしょうが、ひとりの犠牲者を美談で済ませて良いものか?

政府のこの行為は、結局ズルく、あくどい、対面的で政治の中での一イベントだったのだろうという、国民不在政治への不審感を強めただけ。

 

ありったけの知識と経験をフル動員して想像してみてください、

戦場へ丸腰で行けと命令され、いつ撃ち殺されるか分からない状態を、

延々強いられる自分を。

 

筆者だったら、一時間も持たずに直ぐに逃げるでしょう。

いや、誰でも逃げたくなるはずです。

 

PKO派遣隊員は、それを全うしてくる超絶精神力の持ち主なのでしょうか?

そんな人ばかりじゃ無いはずですし帰還後もPTSDにもなる。

 

こんな過酷で非日常な世界に向かわせるのなら、せめて自分を守る手段は認めてもバチは当たらんでしょう?

政府のお偉いさんは、サルでもわかる理屈を自分の身の回りの常識でもっともらしく語る罪、なんだかんだ屁理屈で論議して戦争を政治利用する罪。

 

その罪の自覚なくして、犠牲者の命はうかばれません。