くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

国の教育改革の遅れと、親の職業観の思込みの罪

  次の世代を担う子ども達を育てる環境を、考える動きに熱を帯びていることは、とてもいいことではありますが、その動きが政治勢力維持に利用されている間は、子ど育成には喜ばしいとは言い難いのかもしれません。

 小難しい話し合いをする前に、既に目先の実利を求めないと間に合わない段階に入っている、グローバル社会をサバイバルできる次世代育成ですが、子どもの教育は主として誰に責任があるのでしょうか。

 

日本には「教育無償化」が本当に必要なのか? 徹底図解で考える(畠山 勝太) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

gendai.ismedia.jp

 

 これは、国と親に大きく別れると考えられますが、組織である国と個人である親とでは、当然責任配分は異なります。

 

 国はかつて教育制度運営に失敗した経緯はありますが、以下の記事のような「オンリーワン」教育を修正した経緯や、英語表現力の底上げの遅れを過小評価した国のツケを、個人の親が追わなければならない現状は、子育て問題をより複雑にしているよううに見えます。

 

http://courrier.jp/news/archives/93466/

“世界に一つだけの花”にならなくていい!|英紙スクープ「全米が騙された“オンリーワン教育詐欺”」 | クーリエ・ジャポン

courrier.jp

 

 加えて、教育費負担の課題でも国民全体で追うべきか否かを今更決めるに至っているのも、かつての新進党の政策を一つも引き継がず愚策とバッサリ切り捨て、それで浮いた予算を企業体力強化に優先させた結果です。

 こうした教育福祉の改善の経緯での、予算の無駄遣いが新たに国民負担を強いる姿は、現政権が言うような「国民に、歩み寄った政策」とはお世辞にも似つかわしく無いだけに、今後もしばらく教育費や方針決定の負荷は個人依らざるを得ないでしょう。

 

 そこで、少しでも個人の負担を下げつつも、我が子を良き未来へと誘うためには、親御さんはどう考えたらいいのでしょうか? そのヒントは目の前にある家族の生活状態そのものにあると考えた方が現実的でしょう。

 私たちの生活の目の前にある姿は様々であり、事情も全て異なっています。

まず覚悟すべきは、理想の前に本来ある状況によって選択肢はある程度絞られて来ますが、これは現実的には国の政策が宛にならない間は、やむを得ないでしょう。

 

 だからと言って蛙の子は蛙にしかならないと言っているのではなく、経済的な制限以外で親が子どもの可能性を誘導していないかが、大事だと言うことです。

 もし、ある親御さんが経済面で手も足も出ないと思い込む事で、それが子どもに伝わるにしても、我が子が絶対的に可能性を諦めてしまうのではないかと言う事。

 もしそう感じるフシがあったら親子でお互いの真意を確認しあうべきではないでしょうか。

 

 もしかしたら、徹底的に探せば補助や金銭的低リスクな道が見つかるかもしれないのに、親御さんの知らなかった「情報不足」で、可能性を無くす残念な話になっていたらそれこそ親子にとって不幸というものでしょう。

 子を導く立場の親が、最後の悪あがきもしないまま、自ら我が子の将来の可能性を狭めていたら、それはあまりにも悲劇です。

 

 幸いなことにも現在は、かつての時代からすれば低コストでネット環境を持つことができますが、せめてこの環境だけでも不自由なく我が子に与えられれば、これからの時代に合った仕事のヒントが、見つけたりつくるれる時代になっています。

 それがいかにスゴイ可能性を秘めているかを、古い世代はどうしてもないがしろにしがちかもしれませんが、政府が提案し始めた「テレワーク」という考え方は、政府が意図する以上に、有用だと認識しておくことがキモです。

 

 もちろん、親が知り得なかった今ある、役立つ制度や教育福祉制度を洗い直す努力を惜しんではいけないでしょうが、それ以外にも親が子にしてあげられる役割を、まずはテレワークの可能性を、もっと理解できれば親の負担は格段に下がるでしょう。

 それだけに、私たち大人はもっと仕事や教育の学習ツールとしての、インターネット活用を模索しなければならないでしょう。

 

 親子としては未経験の世界を子どもが歩んでいくのは、とても不安になるかもしれませんが、一説には既存の職業の多くは10年スパンで見ても無くなると言われており、その点でどのみち私たち古い世代の職業観は、役に立たなくなります。

 家族の中でのネット環境の開放は、世間では教育に悪影響を及ぼすと懸念されてはいるものの、実は比較的安全に大事な我が子に自立の自覚を早くから体験させる有効な選択肢であり、ネットで起こる未知の問題に早く馴染ませるのは、結果的に子どもにメリットを生むでしょう。

 

 もう始まっているVRやAIをベースにした非現実な社会は、リスクであると同時にフロンティアでもあるのですが、多くの親御さんの未体験ゾーンには抵抗感や危機感を感じざるを得ないでしょうが、どの道子ども達は遅かれ早かれ受け入れていくしかないのです。

 そう理解できれば、今のうちから仮想空間へ我が子を旅させるのは、決して無理な選択ではないでしょうし、子どもは思っているよりたくましく自分の道を、見つけて行けるでしょう。

 

 ただ、これから特に大事なのは親子の話し合いを今以上に蜜にして、来る未知の課題にも親子で立ち向かえる、関係づくりには決して手を抜いてはいけないことが、せめてもの親の役割ではあります。

 その上で、仮想社会の拡大で変わっていく職業観であっても、それ故に現実の親子の絆が問われるだけに、そう考えれば一見殺伐してるように見えるIT社会も、まんざら悪くないと言えないですかね?

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