子どもが描くべき神の創造
日本では、大昔から才能ある子どもたちを、
「神童」「神の子」
として崇めた慣習を持っています。
藤井聡太を「神の子」というとき、その「神」とは一体なにを指すのか(島田 裕巳) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
その教えにおいて尊ばれてきたのは、次世代を担う子どもに自分たちの未来を重ね合わせる思いに他なりませんでした。
今ならグローバルな視点で眺めている日本の将来であっても、かつては各地方ごとの部落や村落での未来であり、その期待度はそのコミュニティー全体にとても良い形で波及していました。
さて今では人々の視点が広くなってきたことで、期待する気持ちは変わらないにしても、波及効果はマンネリ化してきたのか、未来への前向きな行動を促すチカラは弱まった感がありませんか。
少子化の流れは避けられませんが、今最も比率の高い大人が幅を効かせてきたことも、子どもの立場と可能性を狭めているのかもしれませんが、たとえ人口減少がが事実であっても子どもの秘める可能性を無視しない限り、その国の未来がついえることはありません。
「子宝」という名言があるように、かつて狭い社会が普通の日本では、特に子どもたちは、家族固有の財産ではなくコミュニティー全体の財産、という英知を持っていたのです。
その思いは、今に生きる私たちにとってはそれこそ見直すべき、未来につなぐための大きなヒントです。
子どもに係る様々な課題を、他人事にしない姿勢が、
自身の未来へとしっかり紐付けられている現実を、
どう捉えるかで、私たちの未来は大きく変わっていくのでしょう。
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