九州説か近畿説か。真実はひとつ……???
今回は、週末ということも会ってお遊び的な話題にして、地方を未だに二分する勢いの劣らない、日本最大の歴史ミステリーである「邪馬台国の所在地」をめぐる壮大な地域論争から、地域の在り方を探ってみましょう。
と言いますか、筆者この謎解きが大好物でして、今回は一晩寝ずの論議を戦わしても飽きないこの地域論争を取り上げるにあたって、予め真正面からのアプローチは今回いたしません。
ここは、地域の創生に絞ったテーマで通すのが、テーマですので。
さて、未だにそれぞれの地元の言い分を曲げない両者のアツい立場を買いたいところではありますが、未だ科学的・歴史的事実を証明できる事実が、あまりにも足らないため、補完するにも困難を極めていますので、それを埋められるのは良くも悪くもが地域を想う人々のモチベーションに頼っています。
それは筆者のような地方自治に偏るものには好都合ですが、あまりにも度が過ぎると本末転倒になりかねないだけに、そのメリットは程よく共有するのが懸命でしょうか。
一方で、こうした地域や歴史にかかわる話題は、私たちのルーツを考えるきっかけになったり、住んでいる土地の良さや問題に関心をもてる、とてもよい機会になります。
卑弥呼はどこに存在したか? というテーマについても人物像や影響力の面では、男女の力関係にまでも及ぶ、奥深い一面を持っています。
いつかは真実が判る日が来るのでしょうが、専門家出ない限りあまり固執しすぎないように、過大評価も過小評価もないバランスを保つことは、地域同士の共感度や役割分担を含む「協業」のための良い訓練になるでしょう。
その意味での「邪馬台国」や「卑弥呼伝説」は、日本人の原型を見ることができる祭りごとに、考えが近いものです。
古代日本が地理的歴史的経緯から、仏教でも儒教でもない自然崇拝を選んだ背景は、脈々と引き継がれるこの地域で生き延びるための、日本人としての自負と覚悟の象徴でもあるわけです。
私たちは、恵まれた奇跡的な環境と季節の中で、単に日本に生まれ育っただけで、世界でも稀有な多様な経験を体現でしてこられたことに感謝してもバチは当たらないでしょう。
ここに生まれてきた意味という哲学的な思いを馳せるのもいいでしょうし、単にこの国の恵みに感動するだけでもいいでしょうが、それを自覚した上で日本の良さを課題を見つめ直せば、私たちは日本人としてのアイデンティティを再発見できる気がしてきませんか。