子どもたちを守らなければならないわけ
子どもたちを大人の搾取から守らなければならないわけは、一般通念的に片つければそれで済んでしまいかねませんが、その重要な意味や価値は子どもをお持ちでない方も例外でなく、お子さんをお持ちの親御さんならもちろん日々の暮らしの中で、子どもたちから多くの事を気付かされていて、実感のあることと思います。
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しかしながら、生まれながらにして選択の自由のない、弱い立場である子どもは、どうしても良くも悪くも知恵のある大人の搾取の影響を受け、可能性を失いかねないのが、まだまだ現実と言えます。
おそらく、今の半分でもその搾取から逃れられる子どもたちが居たとすれば、世界はもっと発展を遂げだでしょうし、良い意味で人工増加が進んで人類はもっと大きな発展を遂げてもいたでしょう。
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子どもたちが大人の搾取を受ける大きな原因としては、そもそも連綿と続く子ども搾取の歴史に端を発しているのでしょう。
搾取する大人が子どもの頃に周りの大人から受けた搾取が原因で、大人になる過程で決定的なものを享受できずに大人になったことで、享受できなかった部分が子どものまま、成長してしまうためです。
では決定的なもの、と言うのは何かと言いますとある子どもは愛情であったり、
ある子どもは情緒だったりしますが、その受けた搾取の種類によって様々もしくは複数の、子どもが吸収しなければならない大事な要素を、受けられなくなっているわけです。
ただ、この搾取の連鎖を自助努力で必死になって克服されている大人も少なからずいることは敬服するところですが、原則経験のないものを継承することは困難なだけに、私たち大人は同じ大人の中に搾取の過去と必死に闘っている方居ることと、その理解をする優しさのようなものを持って、可能な限りそういった大人への可能性を認めていくと言う、協力も考慮していきたいものです。
こうした問題にこのサイトで筆者が往々にして触れるのは、幼少時のある種の搾取を受けた経験からくるものですが、幸運だったのは両親の愛情を受けて育って来れた事で、家族の温かみと言う部分に関してはたくさんの恩恵を受けて、大人に成れたことです。
なかなかこういった問題は理屈だけでは理解に乏しくなりがちではなりますが、搾取をする側の大人とされた側の大人のどちらの気持ちも理解できる立場であったことが、こういった問題意識を芽生えさせているのでしょう。
子どもの頃に搾取された経験から、今の子どもたちを搾取している、またはしようとしている方にはある程度の同情と、自身の可能性を狭めかねない危険行為を、ぜひとも踏みとどまって欲しいと、切に願います。
よしんば、単に自己の欲望を満たしたり利害だけの理由で、子どもたちを搾取する場合では、その罪の重さに雲泥の差があります。
その社会的・法的処罰においてはもっと国は区別すべきで、子供への犯罪を単なる結果においてだけ判別するべきでは無いと考えます。
その根拠はそもそも動機の根っこが異なるからで、精神的な改善に前向きに努力されている大人と、単なる欲望のはけ口にしている大人では、良心の呵責の度合いに開きがあるからです。
もちろん二元性で片付く単純な問題では無いでしょうが、世界に先んじて少子化の時代に突入した日本は、将来の可能性とその担い手である子どもたちに、今以上に高い関心を持って、たとえ他人の子どもであってもその価値を見直しする時期では無いでしょうか。
資本主義の世の中で生活する私たちにとって、子どもは様々な意味での投資価値のより高い存在になっていかなければなりませんし、ひとりひとりの子どものコスパを高める、社会全体での動きを模索していかないと、これからの経済社会は成り立っていかなくなるかもしれませんね。