くろま流 × NAGOYA式 ブログ

東海・名古屋からまちおこしヒント探し始めて、結局国際経済のしくみに行きついた

映画レビュー『君の名は。』地方と東京との関わり

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 公開されて既にたくさんのコメントが寄せられている、話題のこのアニメ映画『君の名は。』都会と地方が舞台となるこの作品のレビューは、同時に筆者ブログの趣旨にピッタリでした。

 

映画を見るまで

 筆者は今まで、ローカル関連であっても映画やドラマは滅多に記事にして来なかったのですが、前回記事でカミングアウトしたので切り替えてコメントさせていただきます。

  前置きとして、同名邦画の名作との比較はしないで、純粋にアニメ作品についてだけに絞り込みますね。

 

 実はこの映画の監督さんをつい最近まで知りませんでした、たまたま話題の中でabemaTVでこの映画の公開前に、監督の作品を一挙放送を知り何となく見始めたのが始めで、その作品をイッキに一晩で見通した翌日、最新作映画『君の名は。』を見たんです。

 

 ここまで自分たちの普通の生活と、非現実の世界観が違和感なく感じたドラマは久しぶりでした。

 見たあとの温かい気持ちはなんだろう? おすすめしたい気持ちともうしばらく自分だけのものにしたくなる気持ちがまぜこぜになっているのが今の率直な心境で、不思議な充実感を与えてくれた二人の少年少女を、忘れられなくなっています。

  この映画、相当濃い内容で実は1回しか見ていない筆者は、どうしても何かで補足しなければ、十分堪能しきれませんでした。

 そこで、見つけたのが……

 

映画以外の著作物を読んで

 ご存知の方も多いでしょうが、加納新太氏なる原作者の一人と、同原作者・監督でもある新海誠監督の手による小説が並行して執筆・発行されています。

筆者はAmazonで購入しました。

 

 

君の名は。 Another Side:Earthbound (角川スニーカー文庫)
 

  

 前著は監督自身が製作中の間を縫って執筆しているだけに、とても新鮮で生き生きと文章化されています。(後著は、表題通り作品で語られなかった部分を埋めたものです)

 筆者は映画を見てから読んだので、映画を記憶からトレースしながら読んでいたせいもあるかも知れませんが、逆の人はこの小説をどう受け取ったのでしょうか? 気になります。

 既に映画を見た方は、お感じになったと思いますが、新海監督の真骨頂である「風景描写」の演出と、人物と舞台に広がる空気感の卓越した表現を、小説でもとても繊細な表現でしかも簡潔に書かれているのは、監督の類まれな情報分析力に舌を巻くばかりです。

 都会と地方の落差を高校生の目線で捉えていて、これがリアルにイマドキの若者世相を捉えているのかはここで取り上げませんけど、ここまで多くの人に受け入れられたのは、それなりだったとは誰もが認めると思います。

 

都会目線で描かれている理由

 下に貼った記事リンクが発端で今回の記事を発想しだしたのですが、確かに都会目線なのだけど、敢えてそこを狙ったようにも受け取れますよね。

 今の時代、東京から発信された文化が流行となる仕組みがあって、その仕組みに抗う意味を持たせない空気がありますが、その空気を意図して肯定的に見せているんじゃないでしょうか。
 それよりも実感したのは、都会ー地方に関係なく当たり前の常識を持つ高校生が描かれていて、ホッとする事。


 神社は消失するものの、太古から受け継がれた結びの心はしっかり受け継がれ人と人が結ばれて未来は創られていく、という究極の真理は、都会も地方もなく今でも共通なのだという結論を、しっかりと受け取れるこの映画の、多重世界として捉えられたその舞台に、飛騨が選ばれたのは、嬉しい事でした。

 その根拠を筆者なりに勘ぐるに、新海監督は長野県出身で、田舎の舞台風景は諏訪湖の風景が元になっている、では地名が飛騨になったのは、輪をかけ筆者の想像でしかないけど、脚本設計に参加している加納新太氏の出身が愛知県だったため、土地勘のある中部地方が盛り込まれたと思っています。

 こうしたアニメ作品の舞台として、実際の地方が聖地化するビジネスモデルはすっかり定着しましたが、この作品では、敢えて地方モデルを複数から取り上げて、聖地化の可能性を見た人に委ねたと捉えることが出来ないでしょうか。

 また、監督がインタビューで答える中で、作品の時間を今時の客に合わせて極力削った中で、省かれた父娘や母と祖母の関係の部分と、父と息子の都会的な妥協する関係を想像出来る点は、地方のしがらみの窮屈さと、都会の合理的な親子関係を具体的にしなかったことで、考えるキッカケにもなるでしょう。

 

 アニメ製作期間としては短い部類のこの作品は、時間に変えられない多くの思いを凝縮して、最も効率よく製作された良作で、日本の文化として世界に評価されたアニメのこれからを示す、指標になるものと感じます。

 CGが発達してデジタル化による合理化が進んでいる業界ですが、3K化の現実も垣間見る今、今後も新海監督のような才能が少しでも多く現れてほしいものです。

 

君の名は。』が、感動のウラで消し去ってしまったもの 無邪気にこの作品を楽しむことへの疑問

東野圭吾作品の翻訳者から見た「日本語英訳」の難しさと魅力 コタツはどう訳す?

 

 創作業界アニメも大変だけど、小説も

 小説でも海外出版を積極的に進める動きは目立ってきていますが、上の記事で知ったことでは、日本語から外国語に翻訳する際の、日本特有の言葉のをどう置き換えるかで、相当の苦労があるようです。

 筆者もゆくゆくは海外読者へのアプローチはしてみたいのですが、村上春樹さんのようなご自身で翻訳までされる方とは、差がありすぎるので、夢また夢ですが究極は原作者が苦労してでも、自身で翻訳したほうが、本来の意図が伝わるのではと思っていますが、翻訳を依頼する場合には、作品に向いた翻訳家との出会いは、評価の程度を大きく左右するのでしょうね。

 ITやAIの発達で、コンピュータが小説書いたり、絵画を創作する時代ではありますが、創作は人として出来る最後の砦であって欲しいですから、人もコンピュータやネットを賢く使って、今まで出来なかった新しい連携を模索していかなければならないのかもしれません。