くろま流 × NAGOYA式 ブログ

地域産業・観光を広い目線から、東海・名古屋あるあるをリサーチ。

保育園の先にある、子どもたちの未来への共感は?

  前回の労働力不足の話題に関連する、将来の仕事の継承者になるであろう、子育て環境改善について記事ります。

 

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 今は、ひと昔のように各々の家庭がその中で子育てして教育もするのがふつうと考えられましたが、これからはその考え方を一部でも柔軟に変える必要がでてくるのでしょうか。少子化で継承者現象の深刻化は、そんな将来の不安を垣間見せてくれます。

「区立公園を保育所に」杉並区の提案に近隣住民が反発 なぜ?
http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/30/suginami-kindergarten_n_10215110.html

 

 

 そんな国内がの本の将来を案じている中で、少子化なのに小さいお子さんを預ける保育所不足で、新設するにも近隣の猛反対の憂き目に遇うという悪循環。

 こんな日本に誰がした! と世の親御さんは嘆くばかりでしょう。

 

 しかも、施設完成を一年延ばされれば、子どもの成長は待ってくれませんから、大変なことですが、政府・自治体は子育てしない住民の意見も平等に見なければならず、予算確保も限りがある中で、住民満足度を上げないといけません。

 地域内に保育施設を増やす、賛成派と反対派のシェアは、反対が高齢者層中心で、賛成派層が20代30代の子育て層ですが、どうしても前者の人口比率と過去の社会貢献度がモノをいうためか、どうしても後者に分が悪いんですね。

 

 ここで、取り上げたいのが先に書いた考えを変えていく時代になっているのではないか? という点ですね。

 この意見も、立場の違いで単純に反対派層の優位性がっ出てしまいそうですが、じゃあ子育て層が優位になるまで変わる必要がないのか? と考えると、肯定したら空恐ろしい未来が待っていそうな予感がするのは、筆者だけではないでしょう。

 反対派の多くが高齢者層だとは書きましたが、当然同じ危惧を抱いている人も多いでしょうし、子どもたちの活気のある声を聴いていると、元気になるという効果も本来あるものです。

 

 若年層でも、子どもが嫌いだったり、無縁だと考える住民はうるさいと感じたりしているようですが、やはり戦後GHQの政策で日本人の意識の多様化・自由化が、ここにきて顕著になってきたのでしょう。

 この意識の自由化が曲者で、自由の裏には責任が伴う事実を放棄している向きは否定できませんし、今回のテーマに沿って例えれば、子育てを他人事にして個人の自由を優先させれば結局自分が高齢化した際に、福利厚生面でサポートしてくれる人がいなくなるということです。

 

 その証拠に、安倍首相は骨太政策、といいつつ消費増税なしでは予算が不十分なために、予算の優先順位を切り詰めないといけない状態の中で、子育て支援を優先する意向を示していることからも、後継者支援は重要課題と認識してのことです。

 

 少なくとも、現政府は過去の財政収支、予算編成を柔軟に修正せざるを得ない状況に置かれているわけです、あとは本当に実施されるかを市民が見守るだけです。

 このように、高度成長政策だけでこの先も乗り切れると現実逃避をつづけてきた、歴代の政府が、漸く借金政策から脱却をめざし目先の大問題「人不足解消」に向き合う姿勢を見せだしたわけです。

 

 今度は、住民もその方向に進む声に真摯に耳を傾け、少子化対策を軸とした福利厚生の向上に協力していく必要が出てきたのではないかと感じています。

 まだまだ先の話しかもしれませんが、「子を産んで育てたい」という人として当たり前の願望を、想像もできない世の中はあまりに不幸すぎます。

 そんな日本にしたいだなんて希望する人は居ないと信じたいところですが、その呼応を考えるだけで「かなわぬ夢」とため息つかなければならない現実は、胸が痛むわけです。

 

 一方では楽天的な意見も出ているようです。

もしかして少子化問題って10年後には解決してるんじゃないの?非婚が進む30代と早婚志向な20代の溝

 女性の意識に限定した条件での仮説ではありますが、私たちが悲観しているほど女性の意識は変わってきているのかもしれませんし、そうなら期待したいものです。

 

 子どもを産むのに産婦人科の減少、産んだら乳幼児を育てるノウハウがいきわたらず不安をあおる、それでも何とか少し成長させられたら、収入の安定に働くために子を預ける場所が足りない……さらにこの受難はご主人が居ても仕事に専念されていれば、子育ては母親に一任される現実。

 

  一方で、その大変な立場として擁護される親御さんに対し、あえて反対する意見もあります。

  単に、子どもをアテにした、大人同士のご都合戦争だという見方ですが、たしかにこうした視点はさまざまな問題の盲点を指摘するのに、重要なものです。

 

 

 保育所建設論議に始まった論争は、解釈によっては子育てにかかわらず、医者事態が使命よりも収益優先で、都市部に偏って地方開業者が減っているとのこと、住民も、不便な地方を捨て都市部へ流入し、福利厚生のバランスがおかしくなっているし、景気が向上しない(正確にはとても緩やかに向上中?)という空気は、消費者にとって景気が悪いと認識され、それに呼応する企業は賃金上げを内部保留し続ける、それを修正指導する政府は、その流れをなかなか修正しようとしない。

 それをみて住民はさらに不安視してバランスの悪さに不満爆発……この循環が長期間つづくと一番影響を受けるのは、これから育っていく将来の担い手、子どもたちです。

 

 大人たちは、この将来の日本のホープ足り得る子供たちに、どれだけその問題解決の知恵を授けているでしょうか?

 いくら大人が表面上いい大人を演じても、子どもは純粋なフィルターのない目で世の中を見ています。貧乏なりに、裕福なりに自分だけ生き残る方法を見せつけている間、子どもは親の生きざま、大人の動向を冷徹に見据えながら、反面教師として学んでいきます。

 むしろ、こうした世相を見て育つ子供たちは、意外と賢いのかもしれません。しかしとても将来今の大人たちに感謝してくれるとは思えないのです。

 それはとても世代交代と言えるものではなく、悲しいことに他ならないだけに、弱者である子どもの立場にどれだけ共感できる大人がいるかが、問われているんだと思われます。

 

 子育てについては、可能な限り多くの大人が直接子育てでなくても、子育て相談できる機会をふやす、単に大人の常識を子どもに押し付けないなどの協力、子どもが増えたことでのメリットをわかりやすく住民に周知する、などの多様な市民協力が必要になっています。

 

 日本がグローバル社会で生き抜いていくには、まず虎の子を育ててナンボですから、今からでも子どもの立場にかえって、大人として何が必要かを考える知恵がもとめられているのでしょう。

 

 

 参考:

名古屋市:公立保育所によるリフレッシュ預かり保育事業(暮らしの情報)